ツマとムスメたちは、ほぼ毎日、朝一番で、
「小松菜ジュース」なるものを飲んでいる。
小松菜、バナナ、豆乳をブレンダーにかけ、出来上がり。
砂糖不使用の健康的なフレッシュジュースだ。
特にムスメはこれが大好きで、夜寝る前に、
「あした、こまつなじゅーす、のもうね」
とニコニコしながら眠りに落ちる。
この、「朝一番に小松菜ジュースを飲む」という習慣は、
ツマの日々の試行錯誤の中から生み出された。
「食」にどこまでも貪欲なムスメは、
朝、起きるなり「なんかたーべーたーいー」の連呼から始まる。
それに付き合っていると、ツマの朝食を作る時間はどんどん削られていってしまう。
ムスメの好きな、ドライフルーツやナッツをあげても、すぐに完食してしまうので、
またサイレンのような「なんかたーべーたーいー」が鳴り響く。
ある日、ツマが思い立って、小松菜ジュースを作ってあげたところ、これがヒット。
ムスメは、自分が大好きなものは、驚くほど、時間をかけてゆっくり食す。
熱いお茶をすするかのように、フレッシュな小松菜ジュースをチビチビ飲む。
そして口の周りを緑色にしながら、コップに付いたジュースを最後までなめまわす。
ちょっとしたモンスター。
これが、最も時間を稼げると確信したツマは、
毎朝、まず小松菜ジュースを準備することによって、
モンスターを鎮静化し、その隙に朝食の支度する習慣を獲得した。
いや、本当に毎日ありがとうございます。コマツマ様。
我が家のベランダには、大き目のプランターが3つ並んでいる。
今は、ムスメの「お砂場」と化しているが、
以前は、ツマが、ミニトマト、シソ、バジルなどを育ててくれていた。
特に、ボクはシソとバジルがお気に入りで、食事の直前に摘んできて食べるのが、
ちょとした自給自足感があって、楽しかったのだ。
何より新鮮でおいしい。
ここ最近、そのプランターたちが再び活躍することになった。
小松菜の消費量が半端ではないので、もういっそ自分達で栽培してしまおうと、
ツマが小松菜の種を購入し、ムスメといっしょに、植えてくれた。
種を植えているのを忘れて、
いつも通り「お砂場」をシャベルで掘り起こすムスメを阻止しながら、
今、小松菜は地中深く眠っている。
まだ、芽は出ていない。
出るといいなあ。
昨日、ムスメといっしょに、小松菜たちにじょうろで水をあげた。
「め、でるかなあ」とプランターをのぞき込むムスメの姿を見ていて、
植物はボクらに大切なことを教えてくれているなあと思った。
以前、こんな記事を書いたが、
どんなに水をたくさんあげても、どんなに工夫しても、
今すぐに、小松菜は芽を出すことはできない。
小松菜にも、小松菜のペースというものがあるのだ。
ボクは、せっかちなところがあり、早く結果を見たくなってしまう。
欲しくなったらすぐ欲しい。
昔からそんなところがあったが、今もなかなか直らない。
「待てない男」なのだ。
このブログも、収益化を急いで色々としくじったし、
その類の失敗を数え上げればキリがない。
ツマはもうこんなボクに慣れつつあるが、
結婚当初、いっしょに買い物に行き、買った靴を我慢出来ずに履いて帰ったボクに、
多少ひいていた。
上の記事は、自分に言い聞かせるために書いたのかもしれない。
そんなボクに、ウツという迷惑な天使が舞い降りて、
時間をたっぷりかけて「待つこと」を教えてくれているのだろう。
世の中から取り残されたように感じ、
ああ、この先、自分と家族はどうなるのだろう、
なんて考えることはしばしばだが、
「大丈夫。じっくり待ったらいいよ。」
と、ウツは、目を細めながら穏やかな顔で、いつもボクを諭す。
(やかましか!おまえのせいじゃ!)
と心の中で背負い投げをしながら、
先が見えないのに、何を待てと言うのか。
と思わなくもないけど、
もしかすると、
「なにか」を「待つこと」自体に、
大切な意味と価値があるのかもしれない。
まだまだ、道半ばである。
芽が出ていないプランターを見つめながら、
今日もボクは「なにか」を待とうとしている。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
小松菜ジュース、もしよければトライしてみてくださいね。
ボクは、小松菜苦手だから飲んだことないけど。