ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「待つこと」とボク

今朝、面白いことがあったので、ちょっとだけ。

 

ムスメは、食べることが大好きである。

もう、ほんとうに。

 

「くいしんぼう」

 

というより、

 

「食い意地が張っている」

 

という表現がしっくりくる。

 

一日中食べ物のことで、ギャーギャー言っている。

この執着たるや、おそるべし。

 

隔世遺伝で、ボクの父親から受け継いだものだと密かに思っている。

 

そんなムスメが、

今朝、朝食後にコムスメのベビーベッドで寝ようとしていた。

 

静かに様子を見ていると、ボクの視線に気付いたらしく、

 

「あのね、ねんねしたらおやつもらえるんだからね」

 

と言って、目を閉じた。

 

そう、普段、お昼寝の後におやつを食べているのだ。

 

なかなか寝ない時は、ツマに、

「あれえ、おやついらないのかなあ~?」

と言われると、だいたい素直に寝る。

 

つまり、今朝の行動は

「おやつ欲しさに寝たふりをした」

のである。

 

おやつタイム外に「おやつたべたい!」と言っても、

ツマに玉砕されるのを何度も経験したので、

今回は変化球できたらしい。

 

数分前に、朝ご飯食べたばかりやろ。

 

「おやつ」にすべてを懸けている女の話でした。

 

話は変わり、

 

ウツがボクと仲良くなり始めると、

もうほとんど寝たきりに近い生活になってしまう。

すごい拘束力。

 

そうなると、もう横になるしかないのだが、

眠ってしまうと、こんどは夜が眠れなくなってしまうのだ。

いわゆる昼夜逆転という状態。

 

それはなかなかにしんどいし、

やはり心身にもよくないので避けたいところ。

 

すると「横になりながらも起きている方法」が必要になってくる。

 

本当は、良書でも読んで時間を有効に使いたいのだが、

そんなエネルギーもなく。

 

結局「スマホをいじる」一択である。

 

ゲームもするが、一昨年は『モンスターハンター』にハマりすぎて、

半分くらい自分もモンスターになっていた。

 

スマホで何をするかというと、

延々と映画やドラマを見るか、これまたゲームである。

 

今年の6月からウツが元気になりはじめたので、

ボクはしばらくウツと添い寝の日々が続いた。

 

今回ハマったのが、スマホのゲームだ。

スマホを使っている人なら、一度はやったことがあるかもしれない。

 

経験があるかもしれないが、駅で下りエスカレーターに乗ると、

自分より前に並んでいる人達の様子が見るともなしに見えてしまうのだ。

 

上から下まで、まあ見事にみんなスマホを見つめている。

そして、ほとんどの人がゲームをしているのだ。

 

しかめっ面で画面を見つめているサラリーマンのおっちゃんとかも、

よく見ると、ポップなパズルゲームをしていたりする。

なんだか、かわいい。

 

ちょっと話はそれたが、

 

ほとんどのゲームは無料で出来るが、

結局、ゲームを進めていくうちに「課金」を余儀なくされる事がある。

うまくできているのだ。

 

ゲームをしていて気づいたのは、「課金」をする場合は、

何か特別なアイテムが手に入ったり、

手っ取り早く先に進めたり、

そんなシチュエーションが結構多いのだ。

ボクの主観だが。

 

でも実は、そのほとんどは「課金」をしなくても、

じっくり時間をかけてゲームをすすめていけば達成されるものだったりもする。

 

つまり、「課金」とは「時間」を買っているのではなかろうか。

と、ふと思ったのだ。

 

「たったの14日間でくびれが!」

「1か月で英語がペラペラに!」

 

よくよく考えると、巷は「時短」で溢れている。

 

もう、「時短」や「早さ」はひとつの大きな価値なのだろう。

みんな、それに飛びつく。

 

もちろん、自分もその仕組みから様々な恩恵を受けているし、

そのおかげで快適に暮らせている部分も大いにある。

 

浮いた時間を有効利用だって出来るのだ。

 

だが、

あまりにもその中にどっぷりと浸かってしまい、

もう麻痺しているのではなかろうか、と思うこともある。

 

電車が数分遅れればイライラする、

レジの進みが遅いとイライラする、

信号が変わらないとイライラする、

ネットの接続が遅いとイライラする、

注文が遅いとイライラする、

 

もう、イライラを上げたらキリがないくらい、

イライラの種はそこらじゅうに転がっている。

 

おそらく、物事というのは何でも表裏一体で、

「時短」や「快適さ」は、もしかしたら、

 

「待てない人」

 

を生み出しているのかもしれない。

 

もちろん、ボクも例外ではない。

日々、細かい事でイライラしている。

 

ウツと友達になった当初は、

もう一日も早く縁を切りたくて躍起になっていた。

 

当然といえば、当然だ。

誰しも、辛いことや苦しいことからは早く抜け出したい。

 

しかし、ウツはそうはさせてくれなかった。

現に、今もボクの横でノートパソコンを覗いている。

 

ウツがボクに時間をかけて伝えたかったこと、

それは、

 

「待つこと」

 

だった。

 

世の中には、早く済ませた方がいいこともあるし、

無駄があれば省いた方がいいとも思う。

 

しかし、必ず、

「待つこと」が必要な時、

「待つこと」が必要なこと

があるのだ。

 

じっくりじっくり時間をかけなければ、

本当に美味しい漬物はできない。

 

どんなに頑張っても、植えたばかりの種は、

すぐには花を咲かせない。

 

ひと昔の生活、

自然にあるもの、

 

それらは、「待つこと」を思い出させてくれる。

 

「待つこと」は難しい。

本当に、難しい。

 

でも、こんな時代だからこそ、

「待つこと」が本当に美しく見える。

 

父親がボクに、

「待てば海路の日和あり、待てば海路の日和あり、だぞぉ」

と、時々声をかけてくれる。 

 

ボクは待ちたい。

 

いつまでも、

いつまでも、

 

待ちたい。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

ムスメよ、おやつは昼寝の後まで待ちなさい。

まあ、パパも一回だけ課金したけどね。

 

待つ力 (扶桑社BOOKS新書)

待つ力 (扶桑社BOOKS新書)