「HSP」という単語を目にしたことはあるだろうか。
Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略である。
日本語に訳すと「高い感受性を持つ人」だろうか。
HSPの大体の概要は知っていたが、今日、たまたま、目にする機会があり、
少し調べてみたところ、驚くほど自分に当てはまっていたのだった。
この方のブログが、HSPについてよくまとめられているので、ご参考まで。
HSPについての内容は、ここでは詳しく触れないが、
自分がHSPに該当するかどうかのチェックリストというものがある。
あくまで「目安」としてだが、以下に紹介してみたい。
- 人の気分に左右されやすい
- 大人数の飲み会や集まりが苦手で、いつも居心地の悪さを感じる
- 急な予定変更にパニックになってしまう
- 疲れやすく、1人の時間が欲しいと感じる
- 友達が狭い範囲に少ししかいない
- 人の輪に上手に入っていくことができない
- 好きな人や友達、職場の人などに本音で話せない
- すぐ人を好きになったり、相手に依存したりしてしまう
- 職場で周りの目が気になる
- 小さなミスにも激しく動揺する
- 一度に複数のことができない
- ミスが怖くて仕事に時間がかかる
- 仕事を頼まれると断れない
- 怒っている人やトラブルを見ると落ち込む
- 同僚との雑談や表面的な会話が苦手
- 仕事で注意されると、自分が全否定されたような気になる
- 人混みで疲労困憊する
- いまの仕事が向いてない気がして転職を繰り返してしまう
- 体調がすぐれないことが多い
- ちょっとしたことで落ち込みやすい
- 職場異動や席替えなど、環境の変化にうまく対応できない
- 相手が望むとおりにしようとして疲れてしまう
- 時間にいつもギリギリ、もしくは遅れてしまう
- 自分で決めるよりかは他人に決めてもらう傾向がある
- 結果を出そうと頑張りすぎてしまう
ちなみにボクは、かなり当てはまった。
だからと言って、「自分はHSPだ…」と断定するのは早計だし、
そもそも、HSPは病気でも、障がいでもない。
「特性」であり、「個性」なのだ。
気になった人は、上記のサイトを覗いてみるとよく分かる。
しかも、5人に1人がHSPだと言われている。
決して、特別な事ではないのだ。
しかしながら、HSPの傾向にある人(と言いながら、もうボクは自分がHSPだと思いこんでいる)にとっては、社会に適合していくのは容易ではない。
上記の、25個のチェックリストを眺めると、それがよく分かる。
ボクは、こどもの頃から、よく人の顔色をうかがっていた。
別に、親から抑圧的な態度を取られ、怯えていたわけではない。
むしろ、たっぷり愛情を注いでもらったと思っている。
もう、そういう性格だったのだと思う、当時から。
場の空気を読み、ひとりひとりの顔色をうかがい、自分の出方を見定める。
この字面を見ただけで肩が凝るし、もはや「こども」ではない。
歳を重ねると共に軟化してきたが、「人の目」もよく気にしていた。
「人に嫌われること」を極度に恐れていた。
幼少期から今までを振り返ると、そんなエピソードがたくさん想起される。
今思うと、本当に疲れる生き方をしてきたなと思うし、よく生きてきたなと。
「気にしすぎだよ」
この言葉は、何回言われたか分からない。
分かっているのだが、気にしないようにするのだが、それは無理なのだ。
気にしない人間に「気にしろよ」と言うのと同じように無理だ。
今だって、まだまだある。
そもそも前提として、お酒を飲まないことがあるのだが、
ボクは、いわゆる「飲み会」があまり得意ではない。
特に人数が多ければ多いほど。
みんなと楽しくおしゃべりしたり、騒いだりすることは、
決して嫌いではないが、終わった後、ドっと疲れる。
間違っても「気分転換」などにはならない。
だから、お金を払って、お酒も飲まず、わざわざ疲れに行こうとは思えないのだ。
また、これは良い悪いを言っているわけではないが、
「浅い話」をすることに疲れてしまう。
人数が多ければ多いほど、話題は当り障りのないものになる。
多ければ多いほど、「浅い話」になるのだ。
それが楽しいと思う人もいるので、否定するつもりは全くないが、
自分はどうもそれについていけず、疲労困憊してしまう。
それよりも、ひとりの人と、二人きりでゆっくりとおしゃべりをする方が、
もう全然好きである。もちろん、男女問わず。
とまあ、いくつか他にも例をお話しようと思ったが、
ちょっと予想よりも、かなり長くなりそうだし、なんというか、
ボクのカミングアウトトークが延々と続くのもちょっと苦痛な気がするので、
この辺にして。まだまだあるよ、エピソード。という事だけお伝えしときます。
「社会適合」という側面だけで見れば、
HSPの傾向にある人には生きづらい世の中なのかもしれない。
なぜなら、社会は、HSP傾向の人たちが心地よく過ごせる環境とは言い難い。
しかし、HSP傾向の人たちが持つ「特性」は、決して悲観するものではない。
物事は表裏一体で、むしろ、「傑出した能力」としても捉えられる。
例えば、
小さいことが気になってしまうのは、裏を返せば、
何事も慎重に、丁寧に行えるということでもある。
人の目が気になり、顔色をうかがってしまうのは、裏を返せば、
周りの人の感情や変化に敏感で、察する力があるとも言える。
大勢が苦手で、ひとりの人とじっくり話すのを好むのは、裏を返せば、
人と深い関係性を築くことが出来るという能力でもある。
と、少し考えただけでも、胸を張って生きていい特質がたくさんあるのだ。
その素敵な個性を、生きづらい社会の中に埋没させてしまうのは、
とても、とても、もったいないし、残念なことだ。
本当は、もっとキラキラと自由に羽ばたいて、社会で輝けるのに。
多くの人を救ったり、感動させる力を持っているのだ。
と、ここまで書いておいてアレなのですが、ボクが書いたことを、
もっともっと分かりやすく伝えてくれている動画がある。
むしろ、これを観てもらった方がいいし、事足りる。すんません。
「TED」という番組をご存じだろうか。
色んなジャンルの第一線で活躍している人が15分ほどのスピーチをするのだ。
ボクはこの番組が好きで、気になるトピックがある時は、時々観ている。
2017年7月9日に、エレナ・ハーデッカーホフという女性がスピーチをしている。
エレナさん自身も、HSPなのだ。
百聞は一見に如かず、15分程度なので、もしよければ観てもらいたい。
※日本語字幕がついてます
ボクは、今日、HSPについて改めてじっくり調べ、
自分がこんなにも当てはまっていることに驚愕したが、
実は、同時に安心もした。
まだまだ、どこかで「社会にフィットしきれない自分」を、
ちょっとだけ責めていたことに、気が付いたのだ。
そして、自分のネガティブな面と思っていたものは、
実は、とっても素晴らしいポジティブに変換されることを再認識した。
相変わらず、生きにくさは変わらないし、疲れる生き方を続けるのだろうが、
これが「ボク」であるし、「ボク」だから出来ることもあるのだと。
なんというか、良い意味で開き直れた気がするのだ。
また明日から、自分らしく、一歩ずつ歩き出そうと思う。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
「敏感」とか「繊細」って、ネガティブなイメージ強いけど、そんなことないんだぞう。