ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「雨が降ったら傘を」とボク

以前、母からもらった手紙に書かれていた一文。

たぶん、そんなに深い意味で書いたのではなかったと思う。

 

でも、この短い一文は、ボクの心に残る言葉となった。

そして、今日もなぜか、その言葉を思い出している。

 

ボクの体調は、「一進一退」していく事がほとんどだ。

昨日は元気だったのに、今日はからっきし。なんて事はしょっちゅうある。

そういうものだと頭で理解していても、実際は、なかなかにしんどい。

 

特に、その「一進」と「一退」の振れ幅が大きければ大きい程、ガックリきてしまう。

 

「昨日はあんなに元気だったのに…」

 

ガックリくるのは、ボクだけではない。

ツマやムスメたちもそうだ。

 

昨日は元気だったもんだから、「明日はみんなでお出かけしようね!」

なんて言ってたのに、次の日は布団から起き上がれないパパ。

 

「しょうがないよ。大丈夫、大丈夫。」

「一番ツライのは、あなただから。」

 

こんな台詞を、もう何回ツマに言わせてしまっているだろう。

ツライのはボクだけじゃない、ツマだって、ツライのだ。苦しいのだ。

 

数日前、色々な事が重なったのもあるかもしれないが、

滅多に弱音を吐かないツマが、

 

「元気なあなたに会いたいよ…」

 

と、静かに涙を流した。

 

いつも気丈に振る舞い、ボクを支え励まし、

ムスメたちに真っ直ぐ向き合い、注げる限りの愛情を注いでくれている。

 

でも、それだってもちろん限界はある。

悲しく、苦しく、ツラくなってしまう日がある。

 

ボクは、その日ほど「元気になりたい」と思ったことはなかった。

もう、ツマにこんな涙を流させたくないと心底思った。

 

でも、身体と心は言う事を聞いてくれない。

自分の思い通りには全くならない。

 

悔しくて、悔しくて、悔しくて、もう本当に悔しくて。

 

そんな時、ふと、さっきの母の言葉を思い出した。

 

「雨が降ったら傘を」

 

ボクの日々は、もしかしたら人より雨量が多いかもしれない。

実際、大変な思いをして生活している人は、たくさんいるのだが、

 

「みんな晴れているのに、なんでボクだけ…」

 

なんて思ってしまう日もある。

 

しかし、「雨量」も「降る日」も、ボクにはコントロール出来ない。

 

降りしきる雨の中、地面に膝をつき、天を見上げながら、

「なんでボクだけぇぇぇぇぇぇぇええ!!!!」と泣き叫んでも、雨は止まない。

 

ボクに出来るのは、「傘」をさすということなのだ。

 

1年の半分以上が雨だったとしても、それは仕方のないことであり。

傘をさして過ごす他ない。

 

「傘をさす」とはつまり、

雨の日を「それなりに過ごす」という事だ。 

 

母の言葉が、ボクの心を少しだけ軽くしてくれた。

 

昨夜、久しぶりに家族4人でお風呂に入った。自宅のお風呂だ。

狭い湯船に4人でギューギューになりながら、ムスメたちは、楽しそうに笑っていた。

そんな2人を見て、ツマもボクも笑った。

 

何気ない、そして、短い時間だったけれど、ボクにとって幸せなひとときだった。

大切な、「かぞくのじかん」だった。

 

本当は、家族みんなでお出かけをしたい。

本当は、ムスメとコムスメと一緒に公園に遊びに行きたい。

本当は、たまにはツマをゆっくり休ませてあげたい。

 

だけど、今のボクにはどれも難しい。

雨が降っているから。

 

でも、雨降り空を見上げて嘆くのではなく、

傘をさして、「今日」そして「今」出来ることを。

 

ツマ、ムスメ、コムスメ、こんなボクを認め、支えてくれてありがとう。

気恥ずかしいけど、でも本当にみんながいてくれるから、ボクは生きていけるんだよ。

ささやかな「当たり前」に幸せを感じながら、ね。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

すみません、今日は日記みたいになってしまいましたね。

 

[新版]こころの天気図

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