「自分には出来ないことが出来る人」、そんな人は羨ましく思えてしまうもの。
今のボクには、世の中のお父さん達が、キラキラして見える。
朝から晩まで額に汗して働き、クタクタになって家に帰る。
週末は、重たい腰を上げて家族サービス。
家族を養う、大黒柱。
もちろん、これはボクが勝手にイメージしてしまう「お父さん」
ボクが、自分なりに日々を苦悩しながら生きているように、
そりゃあ、他のお父さん達だって、それぞれに苦労があるに決まっている。
仕事上の悩み、家族の悩み、個人的な悩み、いろんな悩み。
それらは、ひとつ解決すると、またひとつ、肩にのしかかってくる。
仕事に打ち込み、家族のために一生懸命働いているのに、
気づけば、妻とすれ違う日々。
深まる、こどもとの溝。
煮え切れない気持ちを抱えながら、満員電車に揺られる毎日。
そんなお父さんだって、少なくないはずだ。
みんな、みんな、それぞれに泥臭く、自分の人生を歩いている。
しんどいのは、ボクだけではない。
と、自分なりに、世の中のお父さんに理解を示した上で、
あえて、ボクの想いをつづらせてもらいたい。
こんなに長く、布団を敷きっぱなしにしたことがあっただろうか。
もうすっかり「病人」が板についてしまった。
動きたい、動けない。
笑いたい、笑えない。
抱きしめたい、起き上がれない。
布団に横たわりながら、不甲斐なさ、悔しさ、切なさに苛まれる。
ただ時間が過ぎるのを、スマホを握り締めながらじっと待つ。
美しいはずの季節の移ろいは、焦燥感を掻き立てる。
敵を自分の病に見立ててやる時間潰しのゲームは、
倒しても、倒しても、虚しさだけがつのる。
ムスメとコムスメは、こんな父親の姿を見せられ続け、どう思うのか。
天使のようなこの子たちに、自分は何をしてやれている?
どこにも遊びに連れて行ってあげられない。
近所の公園にさえも。
女の子が産まれたら、あんなにしてあげたかった、おままごと。
そんなことすら、ままならない。
ムスメを自転車の後ろに乗せ、コムスメをおんぶ紐で背負い、
毎日のように公園に連れて行ってくれるツマ。
土曜日や祭日は、公園にはお父さんの姿もある。
どんな思いでいるのだろうか。
そもそも、こんな自分と一緒になって、ツマは幸せなのだろうか。
ツマの両親の顔を思い浮かべては、申し訳なさで涙で目が滲む。
「何も出来ない」って、こんなにも苦しくて、情けなくて、悔しいことなのか。
長い長い、終わりが見えない真っ暗なトンネルを、
メソメソと泣きながら、トボトボ歩く。
もういっそ、消えてなくなってしまいたい。
底なし沼に、ゆっくりゆっくり埋もれていく。
身体が埋まり、顔が埋まり、
最後の力を振り絞って突き上げた手も、やがて埋まろうとした時、
冷え切ったその手を握り締める、やさしくて、あたたかい手。
ツマの手。
消えてなくなってしまいそうなボクに、
「あなたではなきゃだめ」と、再び、命の灯をともす。
ツマの両脇には、ムスメとコムスメが。
にっこりと笑っている。
よかった、笑っている。
パパって呼んでくれている。
ああ、そうだ。そうだった。
この女性たちを、ボクは甘く見ていた。
こんなボクに人生を狂わされるほど、ヤワじゃなかった。
はなから「幸せにしてもらおう」なんて思ってないんだ。
「一緒に幸せになろう」って言ってるんだ。
嬉しいこと、楽しいこと。
苦しいこと、悲しいこと。
それを一緒に味わっていこうって言ってるんだ。
ずっと、ずっと。
こんな大事なことを忘れていた。
何も出来ないから、価値がないわけではない。
何か出来るから、価値があるわけでもない。
「いるだけで、いい。」
そばにいてくれるだけで、
話に耳を傾けてくれるだけで、
ただただ、見守ってくれているだけで。
それでいい。
それがいい。
そう言ってくれているじゃないか。
何も出来ないボクに、出来ること。
何も出来ないボクだから、出来ること。
ちゃんと、ちゃんと、あるじゃないか。
これからも、悩みながら、葛藤しながら、
自分にしか見守れない、この尊い三人の女性を、見守らせてもらおう。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
後日読み返したら恥ずかしくなる文章だろうけど、書き残しておきます。