「食事が出てくる」ことはボクにとって当たり前ではない。
食器が洗われていることも、そう。
洗濯物が洗われていることも、干されていることも、畳まれていることも。
ツマには、毎日、「どうもありがとう」と伝えている。
別に、良い夫ぶっているわけではなく、本当に「ありがたい」と思っているのだ。
ボクが中学3年生、弟が小学5年生の時に、2人で田舎に山村留学をした。
(山村と言うほどド田舎ではないが)
今まで両親にべったりだった生活から一変、「自分のことは自分で」がルールに。
食器洗い、洗濯物干し、洗濯物たたみ、この三つはこの時に身に着いた。
朝、全員分の食器を洗わなければ学校に行けなかった。
友達が迎えに来てくれても、先に行ってもらった。
自分で洗濯をしなければ、着るものはどんどんなくなっていく。
畳んでタンスにしまわなければ、洗濯物はアッという間に山になる。
当時、野球部に所属していたが、ユニホームも毎晩自分で洗濯をした。
他の洗濯物と分けるために、屋外に古い二層式洗濯機を準備してもらった。
こんなやつ。
「洗い」「すすぎ」までは左側の洗濯槽でおこない、
脱水の際には、右側の脱水層に自分で洗濯物を移さなければいけない。
これが真冬にはこたえる。
最初の頃は、半ベソかきながら氷水みたいな冷水に手を突っ込んでいた。
ボクなんかより大変な生活をしていた人は数えきれない程いるだろうが、
ボクはボクなりに、チャレンジングな毎日を過ごしていた。
ボクたち兄弟の世話を、2年間見続けてくれたご夫妻。
ボクらは「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいる。
血縁関係こそないが、それよりも深い絆で繋がっているとボクは思う。
きっと、何でもしてあげた方が楽だったに違いない。
「見守る」ことがいかに難しいか、今、親になってひしひしと感じている。
たくさん喧嘩もしたし、反発もした。
20分で帰宅したが、生まれて初めて家出もした。
そんな濃密な2年間が、ボクと弟にかけがえのないものを与えてくれた。
弟ともしょっちゅう喧嘩をしたが、固い絆で結ばれたのはこの時期。
この2年間が、ボクの人生の「土台」の一部となっている。
この経験のおかげで、今、「あたりまえ」をあたりまえと思わずに暮らせている。
今、ツマに心からの「ありがとう」を伝えられているだけで、
大きな大きな意味があった。
ありがとう。
おじいちゃん、おばあちゃん。
ありがとう。
戦友である弟よ。
きっと、これからもっともっと、大きな意味を持つだろう。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
都会もいいけど、やっぱり田舎が好き。