ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「アタマとココロ」とボク

よく、マンガやアニメで、登場人物が何かを「判断」しようとする時に、

ちっちゃい「天使」と「悪魔」が登場するだろう。

 

悪魔が悪い方に誘惑し、天使が正しい方に導こうとする。

で、登場人物が「うーん!」ってなる。

 

これもう、色んなマンガやアニメでお馴染みすぎるシーンだが、

誰がこれを最初に考えて、描写し始めたんだろう。

 

なんて、どうでもよすぎることを、

天井を見つめながら、今日もボクは考えておりんす。

 

ところで、あなたの中には、あんな感じで「天使」と「悪魔」がいるだろうか?

 

実は、ボクの中には、「2人のボク」というものが存在する。

 

まあ、もちろん会ったことはないのだけれども。

存在を、日々「感じて」いる。

 

「天使」と「悪魔」とは、ちょっと違い。

その「2人のボク」の名を、「アタマ」と「ココロ」という。

 

天使と悪魔は、善悪がはっきりしているが、

「アタマ」と「ココロ」は、その辺は曖昧。

 

ボクが何か物事を判断しようとする時に、ほぼ、現れるのだ。

生活は「判断」の連続なので、もうしょっちゅう彼らと時間を共にしている。

 

「アタマ」にも、「ココロ」にも、それぞれ特徴がある。

 

【アタマ】

・主に正論を唱える(〜すべき、〜であるべき等)

・声が大きい

 

【ココロ】

・「すべきこと」よりも「したいこと」を主張する

・声がものすごく小さい

 

両者の輪郭が、なんとなく見えてきただろうか。

 

ボクは長いこと、「アタマ」の意見を最優先にして生きてきた。

 

だって、正しいから。

常識的なアドバイスをいつもくれる。

声も大きいし。

 

で、「ココロ」の声はもうほとんどスルー。

声ちっちゃいし、何言ってるか分からないし。

そんなワガママ通るわけないし。

 

「アタマ」のアドバイスは、

ボクをイキイキさせ、自信を持たせ、エネルギーを与えてくれていた。

 

色んな物事は上手くいき、ボクの人生は順調だった。

 

だが、ある日突然、「アタマ」のアドバイス通りに動けなくなった。

 

何かの間違いだろうと思った。

疲れてるんだ、ちょっと休めば大丈夫だろう。

 

しかし、それは数日続いた。

そして、数日が数週間、数週間が数ヶ月、数ヶ月が数年。

あっという間に時間は流れていった。

 

ボクは、ものすごく焦っていた。

早く回復しないと。このまま「アタマ」のアドバイス通りに動けないのは、

いろいろヤバい。生活を、人生を立て直さないと。

必死だった、もういろいろ必死。

 

そんな時、しばらく耳にしていなかった、小さな優しい声が聞こえてきた。

 

「それで、いいんじゃない?」

 

「ココロ」だ。

本当に久しぶりに聞いた声。

 

それでいいわけないだろう?

今後の生活と人生、どうなるのさ!

 

「だいじょうぶ、なんとかなるから。」

 

なんとかならねぇの!

だから焦ってんの!

 

「ふふふ、だいじょうぶ。だいじょうぶ。」

 

「ふふふ」じゃねぇの!

この状況で「ふふふ」とか言ってんの、おまえだけ!

 

その日、初めて、まともに「ココロ」と会話をした。

それから、ボクは、少しずつ、少しずつ、「ココロ」と話すようになった。

 

「ココロ」の考えは、「アタマ」の主張とは、まるで反対だった。

「アタマ」のアドバイスは、ボクの生活に、自信と活力とエネルギーをもたらした。

 でも、「ココロ」のアドバイスはちょっと違った。

 というか、いつも同じことを繰り返し言っていた。

 

「そのままで、いいんじゃない?」

 

変わらなきゃ、成長しなきゃ、動かなきゃ!

と走り続けていたボクは、いつの間にか、走るのをやめていた。

 

そして、ゆっくり、ゆっくり、歩くようになった。

 

時には立ち止まって、ベンチに腰をかけて、ゆっくり空を眺めた。

 

空なんて、本当に久しぶりに見た。

雲はゆっくり、ゆっくり流れていく。

これでもかというくらい澄んだ青空は、どこまでも続いている。

 

あぁ、ボクは何をそんなに急いでいたのか。

焦っていたのか。悩んでいたのか。

 

ボクの頭の上には、こんなに美しい青空が広がっていたのか。

 

その日から、ボクは「ココロ」の声に、耳を傾けるようになった。

以前のような、勢いやエネルギー、活力はもうなくなっていた。

 

でも、静かだった。穏やかだった。

 

「自分の人生を生きている」

 

そう思えた。

 

今も、何かを判断する時に、「アタマ」と「ココロ」は顔を出す。

ケースバイケースで、それぞれのアドバイスを聞き入れて、生活をしている。

「アタマ」のアドバイスも、時には大切だから。相変わらず声うるさいし。

 

でもやっぱり、ボクは、「ココロ」の優しくて、小さな声が好きだ。

「ココロ」のアドバイスを受け入れて、「後悔」をした事は一度もない。

 

例えば、これは本当に「例えば」の話。

 

ボクが家にひとりでいて、クッキーがあったとする。

うわー、おなかすいたなー、食べたいなーとなるわけだ。

 

でも、これはツマが密かに購入し、こども達が寝た後のお楽しみにしているやつ。

 

【アタマ】

あかんに決まってるやろ、そんなもん!

おまえ、家でゴロゴロしてるだけやないか!

おまえのヨメはんは、その間も、こども達つれて、外に出てくれてんのやぞ!?

そんなヨメはんの大事なクッキー、おまえ、食うんけ!?はぁー!信じられへんわ!

 

【ココロ】

おなかすいてるんでしょ?食べなよ。

 

ボクは「ココロ」のアドバイスを採用した。

やや罪悪感を感じながらも、美味しくクッキーをいただく(無糖)

 

夜になり、こども達が寝静まり、

寝かしつけをしてくれたツマが、のそのそっと起きてきて、食料庫を開ける。

 

ない。

 

鋭い視線を感じる。

 

「ごめんなさい…」

 

【アタマ】

あーあ、だから言わんこっちゃない!

あんだけ言うたやん!ほら、もっと謝らんかい!

土下座じゃ!土下座!今すぐ新しいクッキー買うてこいや!

 

と、大体のストーリーは「ボクの失敗談」で終わるだろう。

 

しかし、「ココロ」のアドバイスは、

シンプルながら、奥深く、常に先を見据えている。

 

「このクッキーを私がどれだけ楽しみにしていたか」を、

涙ながらに訴えるツマ。

 

おぉ、ごめんよごめん。ほんとにごめん。

と、ひたすら謝り倒すボク。

 

次第にツマが、クッキーを食べて息抜きしたいくらい、

最近、ストレスがたまっていることを、ポツリポツリと話し始める。

 

うんうん、とツマの話に耳を傾けるボク。

 

最終的に、クッキーの話はどこかにいってしまい、

ツマは悩みを吐露し、スッキリして眠りに就いたのだった。

 

どうだろう、この話。

 

ボクがクッキーを食べなければ、

おそらくこのエンディングはなかったのではないか?

 

もはや、めちゃくちゃ苦しい「クッキーを食べた正当化」にしか聞こえないし、

この話はノンフィクション寄りのフィクションだけれども、

似たような経験がたくさんあるのだ、実は。

 

「ココロ」は、ボクよりも、ボクのことを知っている。

これは、本当に不思議だ。

 

そして、物事を先の先まで見据えている。

まるで予測できない、先まで。

 

クッキーをかじるその瞬間、

エンディングで起きる事は想像もつかない。

 

「ココロ」のアドバイスを聞き入れるのには、ときに勇気がいる。

 周りとは違う意見や思いだったりするからだ。

(ただ食欲に負けただけ)

 

でもボクは、小さくて、ゴニョゴニョ言ってて、めちゃくちゃ聞こえにくい、

「ココロの声」を、これからも、大切にして生きていきたい。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

あなたの「ココロ」はいつも何て言ってます?

クッキー食べろって言う?

 

心。

心。