ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「自分の道」とボク

以前、こんな記事を書いた。

www.tsuma-musume-boku.com

 エラそうにこんなことを書いたが、

 

自分の道を「選び」「信じ」「歩み続ける」ことの難しさを、

ここ最近、再び思い知らされた。

 

長くなってしまうので、内容は具体的には書かないが、

今週、ある失敗をした。

 

「自分はこう思う、こうやろう」と決めていたことがあった。

でも、それは一般的には上手くいかない方法で、大多数は違う方法を選んでいた。

 

その事実は分かっていたが、それでも、

なんとなく自分は違う方法がいいなと思っていたし、

その方法の方が自分らしいと思っていた。

一般的な方法よりも。

 

でも、日数が経っていくにつれて、だんだん不安になってきた。

自分の選択に自信が持てなくなってきたのだ。

 

ボクは柳の木のように、ゆれていた。

 

悩みに悩み抜いた末、

結局、自分の選択を切り捨て、

一般的な大多数の選択を取った。

 

その選択を取ってすぐ、間違いだったと気付いた。

でも、もう遅かった。

 

切り捨ててしまった「自分らしい選択」は元に戻らなかった。

 

手放して、改めて、それが「自分らしく尊い選択だった」と気付かされた。

 

今まで、何度も、何度も同じような失敗を繰り返してきたが、

今回、再び辛酸をなめる事になったのだった。

 

世間の声や、一般論は、

「みんながやっているんだから」

という、とても強い影響力がある。

 

確かに、その通りだ。

多くの人がやっている、結果を出している。

それに倣えば、皆と同じような成果が得られるだろう。

 

わざわざ、それに抗う必要はない。

 

問題は、その為に「自分の想いを封じ込める」という事にある。

 

わざわざ一般ルートから外れようとしているわけではない。

でも、そのルートに違和感を感じるならば、

自分のルートを選ぶべきだ。

 

たとえ、それが遠回りでも、非効率的でも、反対されても。

 

だが、それは時に本当に難しい。

 

自分のルートを「決める」こと。

自分のルートを「信じる」こと。

自分のルートを「歩み続ける」こと。

 

特に、それが周りとかけ離れていればいる程、気持ちはゆれる。

 

でも、

 

感じたあの違和感、

自分はこうしたい、

このほうが自分らしい、

 

という、静かだけどはっきりした気持ち。

 

これを、つかんで離してはいけないと思った。

本当に思った。

 

たぶん、また同じ失敗をするだろう。

でも、それでいい。

 

こうして転ぶたびに、

 

少しずつ、少しずつ、

 

「自分の道」に自信が持てるようになるのだろう。きっと。

 

と、書きながら自分に言い聞かしております。

 

いつだって、

自分のこころは、

自分の行き先を一番よく知っている。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

「世間の声」とか「一般論」というのは、実はまやかしで、本当は、ひとりひとりが自分の人生を、自分らしく生きようと、もがいているのかもしれないなあ。

 

生きつづけてこそ

生きつづけてこそ