以前、こんな記事を書いた。
エラそうにこんなことを書いたが、
自分の道を「選び」「信じ」「歩み続ける」ことの難しさを、
ここ最近、再び思い知らされた。
長くなってしまうので、内容は具体的には書かないが、
今週、ある失敗をした。
「自分はこう思う、こうやろう」と決めていたことがあった。
でも、それは一般的には上手くいかない方法で、大多数は違う方法を選んでいた。
その事実は分かっていたが、それでも、
なんとなく自分は違う方法がいいなと思っていたし、
その方法の方が自分らしいと思っていた。
一般的な方法よりも。
でも、日数が経っていくにつれて、だんだん不安になってきた。
自分の選択に自信が持てなくなってきたのだ。
ボクは柳の木のように、ゆれていた。
悩みに悩み抜いた末、
結局、自分の選択を切り捨て、
一般的な大多数の選択を取った。
その選択を取ってすぐ、間違いだったと気付いた。
でも、もう遅かった。
切り捨ててしまった「自分らしい選択」は元に戻らなかった。
手放して、改めて、それが「自分らしく尊い選択だった」と気付かされた。
今まで、何度も、何度も同じような失敗を繰り返してきたが、
今回、再び辛酸をなめる事になったのだった。
世間の声や、一般論は、
「みんながやっているんだから」
という、とても強い影響力がある。
確かに、その通りだ。
多くの人がやっている、結果を出している。
それに倣えば、皆と同じような成果が得られるだろう。
わざわざ、それに抗う必要はない。
問題は、その為に「自分の想いを封じ込める」という事にある。
わざわざ一般ルートから外れようとしているわけではない。
でも、そのルートに違和感を感じるならば、
自分のルートを選ぶべきだ。
たとえ、それが遠回りでも、非効率的でも、反対されても。
だが、それは時に本当に難しい。
自分のルートを「決める」こと。
自分のルートを「信じる」こと。
自分のルートを「歩み続ける」こと。
特に、それが周りとかけ離れていればいる程、気持ちはゆれる。
でも、
感じたあの違和感、
自分はこうしたい、
このほうが自分らしい、
という、静かだけどはっきりした気持ち。
これを、つかんで離してはいけないと思った。
本当に思った。
たぶん、また同じ失敗をするだろう。
でも、それでいい。
こうして転ぶたびに、
少しずつ、少しずつ、
「自分の道」に自信が持てるようになるのだろう。きっと。
と、書きながら自分に言い聞かしております。
いつだって、
自分のこころは、
自分の行き先を一番よく知っている。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
「世間の声」とか「一般論」というのは、実はまやかしで、本当は、ひとりひとりが自分の人生を、自分らしく生きようと、もがいているのかもしれないなあ。