ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「目を見る」とボク

「相手の目を見て話しなさい」

 

昔から、親や周りの大人に言われてきた言葉。

 

最近になって、ボクなりにだが、その大切さを噛み締めている。

 

ことわざにも、「目」に関するものがいくつかある。

 

【目は口ほどに物を言う】

情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。

 

【目は心の鏡】

目にはその人の心の正邪が表れるということ。

 

ボクが、ぱっと思いつくのはこの2つだ。

どちらも、「うーむ、その通り…」と唸る。

 

以前、ボクの残念な性癖について書いたことがある。

www.tsuma-musume-boku.com

 そう、「スネる」ということだ。

 

この記事を書いてから、「性癖」なんて決めつけず、直す努力をしようと決めたが、

早くも心が折れかかっている。

 

ツマは、ボクがスネはじめた時、すぐに分かるという。

ボクも自覚しているのだが、「伏し目がち」になるのだ。

というか、ツマと目線を合わせようとしなくなる。

 

我ながら幼稚で恥ずかしい限りだが、どうしてもそうなってしまう。

 

なぜだろうか。

 

「ボクは今、スネています。あなたとはコミュニケーションを取りたくありません。」

 

というサインなのだろう、たぶん。

 

逆を返すと、相手ときちんとコミュニケーションを取りたいと思う時は、

しっかりと目を見て話そうとする。

 

よくよく思い返してみると、おそらく、みんなもそうだろう。

 

「アイコンタクト」という言葉があるが、

「目と目とが合う」ことは、ちょっと特別な意思疎通な気がしている。

 

コミュニケーションの中でも、

「気持ち」が伝わりやすい性質があるのだろう。

 

学生時代、好きな女の子と目が合っただけで、ものすごいドキドキした。

「…あれ、むこうも気になってる…?」

この大いなる勘違い、何度経験したことだろう。

 

…うーん、これはちょっと違うか。

話を元に戻そう。

 

ちなみに、今、ツマと無理矢理に目を合わせようとすると、

「なに?」

と迷惑そうなシャープな返答。

 

もうあの時代は終わったのだろうか。

 

えっと、どこまで話したんだっけ。

 

 そうそう、「目と目を合わせる」ことについてだ。

 

「良寛(りょうかん)さん」というお坊さんをご存知だろうか。

ボクは良寛さんのファンなのだが、

 

記事を書きながら、

良寛さんの素敵なエピソードを思い出したので、

短く紹介したいと思う。

 

『ある日、良寛さんの元に、弟が相談にやってきた。

 

息子が全く言う事を聞かず、放蕩の限りを尽くし、手に負えないので困っている。

説教をして、なんとか息子を改心させてほしい。

 

とのこと。

 

自分の弟の息子、つまり、自分の甥っ子のことでもあるので、

良寛さんは、弟の頼みに応じることにし、久しぶりに遠い故郷に戻ることにした。

 

弟の家に着くと、例の息子(馬之助)もそこに居た。

 

良寛さんが、弟の家に滞在してから、1日、2日と時間が過ぎていった。

しかし、良寛さんは一向に馬之助に説教をする気配がない。

 

そして、馬之助に何も話さないまま5日が過ぎ、

ついに、良寛さんが帰る日になってしまった。

 

玄関で帰り支度をしている良寛さんは、

「わらじの紐(ひも)を結んでくれないか」

と、馬之助にお願いをした。

 

馬之助が良寛さんのわらじの紐を結んでいると、

首筋に何かあたたかいものが落ちてくるのを感じた。

 

馬之助が顔を上げてみると、

良寛さんが、慈悲深い目に涙をいっぱいに溜めて、

やさしい眼差しで馬之助を見つめていた。

 

そして、良寛さんは静かに馬之助たちを後にした。

 

その日から、馬之助は生まれ変わったように改心し、

正しき道を歩み始めたという。』

 

ボクは、この話が大好きで、時々思い出しては、

ああ、良寛さんのようでありたいなあと思っている。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

目が合っただけで「あの娘、ボクに気があるんじゃ…」と思ってしまう、大いなる勘違い男子はボクだけではないはず。

 

一日一戒 良寛さん──清々しい人になる90の教え

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