名前は、えっと、「点つなぎ」でよかったんだっけな。
やったことあります?
紙に、点がいっぱい打ってあって、番号がふってあるの。
で、番号順に点をたどっていくと「絵」が完成するってやつ。
あれ、好きだったんですよね、ボク。
小さい頃、公文式に通わせてもらっていて。
入りたての頃は、算数で、あれよくやっていたっけなあ。
おねだりして、ワークブックみたいなのも買ってもらって。
もっと点が多くて難しいやつ。
点が少ないやつは、もう大体どんな絵が完成するか分かっちゃうのね。
これぜったいウサギだろうな、とか。
でも、点が多くなると、最初は全然見当もつかない。
で、やってくうちに「お?おぉ…。おぉぉぉぉ!!!」ってなるの。
点がすごい多いやつは、途中でも全然分からないことがある。
46は…あった。次は47…おお、あったあった。
で48…48…48…あれ…あ!あった!ええ!いきなりそんな離れんの!?
みたいなことも。
なつかしい思い出です。
久しぶりにやってみたくなったなあ。
まあでもね、やってるんですよね。
今度は、「人生の点つなぎ」ってやつです。
一番むずかしくて、わけが分からんやつ。
今、自分がどの辺にいるかわかります?
次に探す番号、覚えてます?
どんな「絵」が出来上がるか、なんとなく見当つきます?
ボクはね、もう全然ですよ。
ぜんっぜんわからん。
自分が今、どの点まで来ているか。
次に目指す点はどこにあるのか。
「絵」はなんなのか。
どれをとってもサッパリ。
なんでこんなことを書いているかというと、
最近、「これは何のための点や…」っていう出来事があり。
まさに、さっきの「48」みたいに、
全然予測してなかった点に連れていかれちゃった。
「ここ来て、どうすんの?この先、どうなんの?」
と思っているわけです。
この体調不良なんて、ボクの中ではその最たるもので。
もうまさしく「疑問点」ですよね。(よし、うまくいった)
で、昔にやってた「点つなぎ」をふと思い出したってワケです。
スティーブ・ジョブス氏が、生前、スタンフォード大学で、
卒業生に向けてスピーチをされました。
もしかしたら、聴いたことがある人もいるかもしれません。
「伝説のスピーチ」とか言われてて、当時、「ほんまかいな」と思い。
斜に構えながら観てみたのですが、見事にスパーンと心を打たれました。
ジョブスさんが言っているように、
点と点の繋がりなんて予測出来ないんですよね。
たぶんね、「人生の点つなぎ」って番号ふられてないんですよ。
紙の上に、もう、ただひたすら「ダダダダダ」ってランダムに点が打たれてるだけ。
わかるか!っていう話ですよ。
目安も何もないのに。
でも、黙ってても鉛筆は動いていくわけです。
時間は確実にすすんでいる。
「いいけどさ、動くのはいいけどさ!どこに向かうの!?ねえ!ねえ!ねえ!」
って、思っちゃうわけなんですが、
ジョブスさんは、
「いつか点が繋がることを信じることだ」
と説いています。
この動画のジョブスさんが、いよいよ僧侶に見えてきたぞ。
でも、我々に出来ることは、「信じる」ことしかないんだろう。
ボクもそう思います、ほんとに。
「どこに繋がるかは分からないけど、どこかに繋がると信じる。
そして、振り返れば、それがベストだったと分かる。」
「見えない明日を信じる」って簡単なことではありません。
こわい、こわいですよ、やっぱり。
でも、ボクは「絵」を見るのがとても楽しみなんです。
自分の人生の「絵」。
今はまったく予想もつかないけど、着々と、「絵」の完成に向けて進んでいる。
いやあ、どんな「絵」なんかなあ。
意外とショボかったりしてなあ。
それを見るのは、おじいちゃんになってからかもしれない。
もしかしたら、生きてるうちに見れないかもしれない。
それでもね、それでもいいんです。
ボクは、見えない次の点に向かって、鉛筆を走らせます。
小さいころにやった、あの点つなぎのように。
疑うことなく、まっすぐ。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
やっててよかった、公文式。