ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「おまえの母ちゃんデベソ」とボク

小学生の頃、言われて嫌な悪口があった。

まあ、悪口というか、お互いにからかい合って、じゃれてるだけなんだけど。

小学生男子の「戯言合戦」なんだけど。

 

「おまえの母ちゃんデベソ」

 

これが、ボクはどうも気に入らなった。

いや、別に母ちゃんがデベソなのが図星で傷ついたのではなく。

「母ちゃん」に対して、なんか言われるというのが、うーん、なんか嫌だった。

 

自分がどうこう言われるのは「やかましわい!」って感じなんだけど、

なんか、母ちゃんのことを言われると、心に「ズシン」ときた記憶がある。

あれはなんだったのだろう。

 

どこの小学校にも、食物連鎖の頂点に君臨しているような「ボス」がいるだろう。

例外なく、ボクの周りにもいた。

 

その傍若無人たるや、勢いを知らず、木々をなぎ倒すかの如く学校生活を送っていた。

なつかしいな、元気にしているかな。

 

基本的にヒットアンドアウェイアウェイアウェイくらいの、スタンスのボクは、

「触らぬ…になんとやら」で、あまり接触しないようにしていた。

 

でもある日、ヤツの後ろ姿が目に入った。

うわー、いるよ。いるいるいる。どうすっかなー。

 

よく見ると、女の人と手をつないで歩いている。

アイツ、見たことない顔してるぞ。なんかかわいいな。

 

そして誰なんだあの女の人。

気になる。

 

会話が少し聞こえてきて、その女の人が「お母さんね…」と言っていた。

あ、母ちゃんだ。ヤツの母ちゃんだ。

 

そうか、ヤツにも母ちゃんがいるんだよな。

なんか、あまりのすごさに「怪獣」みたいなカテゴリーに入ってたけど。

そうだよな、母ちゃんはいるんだわな。 

 

その日、ヤツの見たことのないハニカんだ顔と、

母ちゃんのやさしい笑顔を見て、ボクはなんだかあったかい気持ちになった。

 

「母ちゃん」

 

やっぱり特別な存在だ。

どんなに腹立つ人がいても、その人のことを想っている母ちゃんがいる。

その母ちゃんの気持ちになると、ボクはその人の事を少しだけ許したくなる。

 

連日、色んなニュースが報道され、

警察のお世話になった人たちが、テレビやインターネットに映る。

 

「ああ、この人の母ちゃん、どんな想いでこれ見てんのかなあ」

なんて考えてしまう自分がいる。

 

結婚をして、こどもを授かって、特にその想いは強くなった。

こどもって、やっぱり「母ちゃん、母ちゃん」なのだ。

 

ムスメは何か都合が悪くなると、「まーーまーーがいいーーー!!!!」って言うし。

そうなのよね、ままがいいのよね。

 

いや、ぱぱである自分を卑下しているわけではなくね。

やはり母ちゃんは特別なんだなあと、しみじみ感じるわけです。

 

世の中には、いろんな家庭があって。

 

母ちゃんが離婚した人。

母ちゃんが先に天国に行ってしまった人。

 

いろんな、ほんとうにいろんな事情がある。

 

でも、これだけは「絶対」という言葉を付けていいと思うんだけど、

どんな人も「母ちゃん」から産まれてきている。

 

「父ちゃんから」は、たぶん、いない。

いてもいいんだけど、や、いないな。

 

産まれたあと、母ちゃんとの関係がどうなろうとも、

必ず、「自分を産んでくれた母ちゃん」がいるのだ。

 

これってすごいことじゃないか。

すごいことだとボクは思うのだ。

 

長い間、母ちゃんはおなかの中で、だいじにだいじに、自分を愛でてくれた。

でなきゃ、たぶん、産まれてきてない。

 

どんな極悪人でも、産んでくれた母ちゃんがいるのだ。

この世に生を受けた限り、「母ちゃんに愛された」という経験が、

すべての人にあるということだ。

 

そういう想いが、ボクはなんだか強い。

 

だからきっと、本能的に「おまえの母ちゃんデベソ」は嫌だったんだ。

母ちゃんは、理由なく大事な人だから。

 

今、真横でムスメたちの母ちゃんしてくれているツマに、

そして、自分を産んでくれた、自分の母ちゃんに、

世の中のすべての母ちゃんに、

 マザコン代表としてお礼を言いたい。

 

「母ちゃん、ほんとうにありがとう。」

 

今日も、ウツボクに来てくれてありがとうございます。

 

反抗期は「くそばばあ」とか言ってましたけどね。「デベソ」より全然ひどい。

 

かあちゃん取扱説明書 (単行本図書)

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