ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「自分探し」とボク

なんか、こういうタイトルばっかりな気がしますね。

すんません。

 

あなたは、「自分」って見つかりましたか?

というか、「自分を見つける」ってなんなんでしょうね。

 

もちろんね、人によって違うと思うんです。

定義も方法も。

 

ちなみに、ボクはまだ見つかっていませんよ、自分。

うっすら輪郭が見えてきたくらいです、やっとね。

 

なんか、あんまり突き詰めると、

また帰って来れないくらい深いとこまで掘り進んでしまいそうなので。

 

「自分を見つける」って、「自分らしさの発見」とも、

言い換えられる気がしています。

 

あなたの「自分らしさ」ってなんですか?

 

幼い頃から、もうバチーっと「自分らしさ」を身にまとっているキッズもいれば、

ボクのように、ゾンビのようにウロウロとさまよってる人もいる。

 

これに関しては、「良し悪し」はないでしょうし、

早く見つかればいい、というものでもない気がしています。

 

おそらく、多くの人は毎日いろんな経験をしながら、

「自分」への理解がじわじわと深まっているのではないのでしょうか。

 

最近、ボクが考えているのは、自分らしさと出会う「プロセス」について。

 

弓矢で的を射るように、「スコーン!」と出会うのって、まれでしょう。

恋愛だってそうですよね。

 

たまーに、「小学生の頃から両想いで、そのまま結婚しちゃいました!」

なんてご夫婦もいらっしゃるが、それも、まれでしょう。

 

多くの人は、色んな人を好きになり、好かれ、しあわせ噛み締めたり、

どん底を味わったりしながら、時間をかけて色んな経験をして、

やっとこさ「私はこんな人が好き」「僕はこんな人と相性がいい」

って分かってくるんですよね、多分。

 

面食い小僧のボクが言っても、説得力に欠けちゃうんですけど。

 

なんか、「自分探し」とか「自分らしさへの出会い」って、

そういう恋愛のプロセスと似てるなあって。

恋愛してないのに最近感じました。

 

あ、いや、恋愛してないってそういう事じゃないですよ。

ツマー!好きだー!

 

人生の中では、その時々で色んなことを選択していきます。

学校に行くか行かないか、就職するかしないか、

会社に勤めるか、フリーランスになるか。

 

もう、ほんとにたくさんの選択をしている。

 

自分の事で言えば、その時、その時で、自分なりに熟考して決めてるんです。

でも、「やっぱり合ってないかな…」ってことの方が全然多い。

 

もちろんね、「それを選んだこと」に対しては、全く後悔なんてないんですよ。

 

でもやっぱり焦ったりもするでしょ。

なかなか、自分にフィットするものが見つからないと。

なかなか、「自分らしさ」を活かすことが出来ないと。

 

でもね、やっぱりね、そう簡単に見つからない。

見つからないですよ、「自分」なんて。

 

たぶん、「自分を見つけようとしてる」あいだは、見つからんな。

これが、最近のボクのケツロンです。

 

どういうことかと言うとですね、

自分は「見つける」ものじゃなくて「見つかる」ものじゃないかと。

ん?どう違うんや?

 

つまり、

「ここか?」それとも…「ここかなあ~?」って探すものじゃなくて、

 

「あれも違う」「これも違う」「もっと違う」「もっともっと違う~」

って、「違う」をひたすら繰り返すことによって、

 

自然と「これだ!」が出てきちゃうというか、見えてきちゃうというか。

 意図せずに見つかっちゃうんじゃないかなって、自分ってものは。

 

書きながらね、ああ、今日もこうして自分を慰めているんだなと思ってますよ。

まあでもね、いいいんですいいんです、いいんですよ。

ひとりでも「そう、そうよね!」って思ってくれたら。

ばんばんざいです。

 

別に、わざわざ「違う」を経験した方がいいと言っているのではなくね。

「違う」や「失敗」は、実は「最高の手がかり」なんじゃない?

ってことなんです。

 

生きてる間に見つかんないかもしれないですよね、自分なんて。

だって、人生が「自分探しの旅」みたいなものですもの。

 

と、最後はなんか、いかにもなことを言っておしまいにします。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

警察に「自分の捜索願い」出したら、やっぱり病院紹介されるだろうな。

 

じぶんだけのいろ―いろいろさがしたカメレオンのはなし

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