20代前半の頃、知人が勤めている学童保育でバイトをさせてもらっていた。
夏休みや冬休みの長期休みに入ると、学童保育の一日は長くなる。
なので、時々みんなで「お出かけ」をしていた。
ある日、映画館に行くことになり、ボクも引率させてもらうことに。
観に行ったのは「ドラえもん」。
バイトだし、引率だし、文句は言えないが、正直、他の映画が観たかった。
まあでも、主役はこども達なので、一時間半は我慢。
さいあく、寝てしまえ。
身も心も斜に構え、座席にどっぷりと座った。
さあ、こども達、ゆっくり楽しみなさい。
物語がクライマックスに差し掛かった頃、隣の子が尋ねてきた。
「せんせい、ないてんの?」
泣いてるってレベルじゃない。
涙腺崩壊、嗚咽漏れ。
ドラえもんの映画が初めてだった上に、期待値もかなり低く。
完全にカウンターパンチをもらった。
涙の仕掛け人は、あのガキ大将。
ジャイアンである。
その傍若無人な立ち振る舞いで「いじめっ子」の代名詞となった男。
あのジャイアンが、映画の中ではものすごいイイやつなのだ。
劇中では、友情のために我先に身体を張る。
普段は、我先にのび太をボコボコにしているくせに。
もう、そのギャップに完全にやられてしまった。
むしろ、普段はあえてコツコツとダークな役回りをして、年一回の映画で見事に観客を裏切り号泣させるという、おそろしいセルフプロデュースをしてるのではないかとさえ思ってしまう。
こどもが誰一人として泣いていない中、ひとり号泣し、ジャイアンの新たな一面を見た、いや、魅せられた日となった。
その日を境に、ボクの中でジャイアンは「いじめっ子」から「イイやつ」に上書き保存され。
テレビで暴れまわっているジャイアンを観ても、
「知ってるよ、おまえ、イイやつだもんな。おつかれ。」
と、ニヤついてしまう。
ジャイアンという人間について考えると、
「いじめっ子」
は、ジャイアンの「すべて」ではなく、「一面」に過ぎない。
彼の場合、その一面があまりにインパクトがあるので大分損をしているが。
しかし、映画では「友情に熱い」という一面を見せてくれる。
そして、よくよく彼を観察していると、
「母ちゃんには弱い」
「妹には優しい」
などといった、人間らしい面がいくつか見えてくる。
こうして、彼の色んな面を知っていくと、なんだか愛らしく思えてくるから不思議だ。
こうなると、「ジャイアン」ではなく、もはや「剛田武」として見ている。
人は、ルービックキューブにように、色んな面を持つ。
人間関係というものは、簡単ではない。
どうしても「一面」しか見れないことが多いからだ。
でも、 自分にはその面しか見えていないだけで、ちゃんと他の面もある。
他の面に目をやるのは、時に難しいし、勇気がいる。
たっぷり時間をかけなければいけない場合もある。
でも、大切なのは、あきらめずに「見ようとする」ことなのかもしれない。
「平面」が「立体」に見えた時の感動は、剛田が教えてくれた。
ありがとう、ジャイアン。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
新型ウイルス騒動も、みんなで多面的に見れたらいいなと思う。