今朝、ツマがお米を買い忘れたと言うので、
朝から開いている近所のスーパーでお米を買って来た。
帰ってくるとムスメが、
「ぱぱあ、おこめかってきてくれてありがっと」
と、ボクの目を見て言ってきた。
機嫌が良かったのかもしれない。
でも、びっくりしたのと、うれしかったので、
ボクは一瞬止まってしまい、
「あっ、いえいえ、どういたしまして!」
と、はにかみながら答えた。
おいおい、2歳半のムスメにはにかむんじゃないよ。
普段は、はむかわれているくせに。
さておき。
ボクはムスメのひとことが本当にうれしかったし、
心がほわーっとあたたかくなるのを感じた。
改めて「ありがとう」の力はすごいなあ、
と思わされた朝だった。
ムスメがボクの目を見て「ありがとう」と言ってくれたこと。
ツマに促されるわけではなく、自分の意志で伝えてくれたこと。
しみじみと嬉しかったのには理由がある。
ボクは、正直なところ、
「ありがとう」と「ごめんなさい」
が心から言えれば、生きていけると思っている。
ボクが今「生きていけている」かはギモンなのですが。
まだ親になって3年も経たない。
親として、本当に色々なことを経験するのは、まだまだこれからだ。
本当に、まだまだ。
でも、ボクはあんまり、
「こどもにこうなってほしい」
「こういう風に育ってほしい」
という想いが今のところ、ない。
それは、根本的にボクとムスメが、
「違う人間だから」だ。
ムスメが産声を上げた瞬間から、
いや、お腹の中にいた時から、
ムスメは「人格を持ったひとりの女性」なのだ。
というきれいごとと、
日々の慌ただしい生活には大きな乖離があるのですが…。
教えなければいけないこと、
伝えなければいけないこと、
それらは確かにあるのだが、
自分の価値観をツマやこどもたちに押し付ける事に、
ボクは強い抵抗がある。
だが、
唯一、こどもたちに「こうなってほしい」というのが、
「ありがとう」と「ごめんなさい」を、
心から言えるような人になってほしい、ということなのだ。
今のところ。
だから、今朝のムスメのひとことは、
ボクは本当にうれしかった。
ボクが「あいさつ」を大切に想うのには、
今までの色々な経験がそうさせている。
ボクは小学生から高校生まで野球に熱中していたが、
野球は礼儀やあいさつを大切にするスポーツのひとつだ。
「ありがとうございます!」
「よろしくおねがいします!」
「すみませんでした!」
今思うと、白球を追いかけながら、
本当に大切なことを教わったのだなと思う。
社会に出て、あいさつをしない人の多さに驚いた。
客先や利用者には、とっても愛想よくあいさつはするのに。
働く仲間、特に自分が気に入らない人間には、
なんともショボイあいさつをする人が、
残念ながら自分の周りには結構いた。
残念というか、
もったいないというか、
一番近い仲間にこそ、心からのあいさつが必要なのではないかと、
ボクは今でも強く思っている。
別に「あいさつ運動」を推進している訳ではないが、
あいさつの持つチカラは本当にすごい。
例えば、
心からの「おはようございます!」で、
「私はあなたの敵ではありません、大切に想っています」
というメッセージを伝えることが出来るのだ。
恥ずかしいけれども、
面倒くさいけれども、
ボクは人間関係の基本は、
「あいさつ」
だと固く信じている。
人はひとりでは生きていけない。
本当にそうだ。
自分に力がなくても、
弱い存在でも、
心からの「ありがとう」
心からの「ごめんなさい」
を素直に伝える力があれば、
色んな人が手を差し伸べてくれる。
大切にしてくれる。
信頼してくれる。
多分、ボクはそうやって生きてきた。
これからも、そう生きていくだろう。
それが、ボクにとっての「豊かな生き方」のひとつなのだ。
ボクが一番あいさつを大切にするべき場所は、
そう、家庭の中。
親があいさつをしている姿を、こどもは見ている。
「あいさつをしなさい」と言うよりも、
自分がまずきちんとあいさつをすること。
これに尽きる。
何だか今日は説教臭くなってしまった。
いやだなあ。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
冷蔵庫の中のカシューナッツを黙って大量に食べたのはボクです。
ごめんなさい。
心から。