そもそも、ボクはこんなタイトルで文章を書くほど、
しっかり「ワーク」しておりません。
しかし、ここ数日、このことについてよく考えている。
「生きていく上での優先順位」を改めて見直し始めている。
そんな自分が、いる。
数年前、たまたまWEBのコラムで見かけた記事が印象に残った。
ある看護師が末期患者と接するなかで気が付いたこと。
患者達が口にした「後悔のことば」
記事の中では、5つの「ことば」が綴られているが、
ボクの心には、この「ことば」が残った。
「あんなにガムシャラに働かなくてもよかった」
これは男性のほとんどが語っていたこと。彼らは、自分の子どもたちの幼い頃や、パートナーとの関係を懐かしみます。
昔は男性が家計を支えるのが当たり前だったせいもあるでしょう。
「馬車馬のように働き続けて、人生の時間を無駄にした。
もう少し家族との時間を大切にすればよかった」と、深く後悔するのです。
「生きていく上で大切にしていること」は、人それぞれだ。
そして、正解なんてものはない。
ボクの父は、仕事に大きな「いきがい」を見出した人である。
ちょうど、今の自分と同じくらいの年齢の時に、起業をした。
起業した同じ年にボクは産声をあげたので、
会社とボクは同い年。
不況の波にもまれながらも、33年生き抜いてきた。
想像も出来ない苦労や喜びが、そこにはあっただろう。
現在の社長と父の2人で始めた33年前。
今や、数十人の社員の方々が仲間に加わり、成長を続けている。
そんな父は、今年の春に定年を迎え、会社と仲間に別れを告げた。
そして、息つく間もなく再び事業を始めた。
そのバイタリティーには驚嘆するばかりだが、
父の言葉を借りれば、「男のロマン」なのだという。
父にとって、「はたらくこと」は「いきること」に近いのかもしれない。
「飯を食うために働いている」が、「働くために飯を食っている」気もする。
それだけ夢中になって、打ち込めるものがあるというのは幸せだ。
誰もがそういうものに出会えるわけではない。
多くの男性は、一日の大半は働いている。
そして、生涯のほとんど、働いている。
動機は様々だろう。
働くことが「いきがい」になっている人もいる。
「自己実現」や「自己表現」の機会になっている人もいる。
自分の持っている才能を存分に活かしている人もいる。
色んな動機、色んな働き方がある。
そして、そもそも「生きていく」ためには、働かなければならない。
では、なぜ人は「生きていく」のか。
冒頭に紹介した「ことば」には、重みがある。
立ち止まって考えてみる価値が、ある。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
バランスを取ることほど、難しいことはないと思う。