今日は朝から、住んでいる団地の、屋外排水管修繕工事が実施されている。
10:00~17:00まで、自宅で排水が出来ない。
つまり、手を洗ったり、トイレに行けないのだ。
朝から晩まで仕事がある人にとっては問題ないが、
主婦や、ふだん自宅で過ごす人達は、何か策を練らねばならない。
一番てっとり早いのは、やはり、外に出てしまう事だろう。
ツマとムスメたちは、午前中はムスメの幼稚園のプレがあり、
午後は、夕方まで友人宅で遊ばせてもらう事にしたようだ。
ボクも昨日の時点では、オフィス(またの名を実家)に一日行こうと思っていたが、
朝起きると、ウッツーがこれまたお元気で。
あっさり断念。
結果から言うと、今、自宅にひとりでいる。
既にもう排水出来ない時間帯になっているが、
先程、奇跡的に、タイムリミットの3分前にトイレで大きいものが出てくれた。
さて、どうやって過ごそうか。
手を洗うのは、浴槽に溜まった残り湯でなんとかしよう。
トイレは…まあ、そういうことになる。
夕方にまとめて流せばよい。
といいつつも、若干、緊張している。
夕方まで排水ができない。
まさに、背水の陣である。
話は変わり、
ボクは大切にしている言葉がいくつかある。
その中のひとつに、
「七転八起」
という言葉がある。
いわゆる「座右の銘」だ。
今のところ。
知ってる人も多いと思うが、あらためて辞書を引いてみた。
【七転び八起き】
何度失敗しても屈することなく、そのたびに立ち上がって奮闘すること。
少し、ボクの父の話をしたい。
今年の4月から、父の計らいで、一緒に仕事をさせてもらっている。
この父という人が、実にコミカルでユーモアがあり、
ハプニングだらけの人生を送っている。
仕事柄、現在もだが、前職でも海外出張に出かける事が多かった。
だいたい、ハプニングを起こすか、見舞われて帰ってくる。
今年の4月から何回か出張に行っているが、
スペインで、タクシーの中にスマホを置き忘れたことが記憶に新しい。
よりによってスペインである。
結局、スマホは戻ってこず、帰国してから新しいものに買い替えた。
ちなみに、なくしたスマホは買ってから1か月も経っていなかった。
それからというもの、
鍵っ子のように、首からスマホをぶらさげて生活をしている。
もうこんな事例をあげれば枚挙にいとまがないのだが、
昨日、テレビ電話で会話していた際、父の洋服に何か不自然さを感じた。
見たことのないタートルネックを着てるなと思ったら、
ポロシャツを前後反対に着ているではないか。
指摘したところ「もうめんどうだからこれでいい」らしい。
よくないだろ。
こんなストーリーで何となく父の輪郭が見えてきただろうか。
まあ、要するに愛らしいおじさんなのである。
近くにいる人はなかなか大変だが。
父は、ちょうどボクが産まれた年に友人と2人で起業をした。
33年経つが、今もその会社は存続しており、
一緒に起業をした方がずっと社長を務めてこられた。
決して規模は大きくない中小企業だが、
不況の波にあおられながらも、たくましく生き残った。
父は仕事を生き甲斐にしていた。
きっと、今もそうだと思う。
とにかく忙しくしていた。
家に帰って来ない日の方が多かったかもしれない。
当時、こどもながらに「こんな忙しい人生は嫌だ」と思っていたが、
気付けば、今、一緒に仕事をしている。
人生というのは分からないものだ。
自分が成人をしてから、
社会に出て仕事を経験してから、
家族を持ってから、
そして、一緒に仕事をするようになってから、
今まで自分に見えていなかった父が見え始めた。
「七転八起」
とは、父を見ていて出てきた言葉である。
父は何度も転んできたし、今もよく転ぶ。
でも、その度にムクっと立ち上がり、
また歩き出すのだ。
何度転んでも、
何度転んでも、
また、ムクっと起き上がる。
そして、ゆっくり歩き始める。
自分も含め、人は皆、転ぶのは嫌だろう。
出来れば転ばずに歩きたい。
ムスメたちにも、気付いたら、転ばないように教えている自分がいる。
それも間違いではない。
転ばないなら、それにこしたことはないだろう。
だけど、転ばない人生なんて有り得るだろうか。
人生は転ぶように出来ている。
何回転んでも大丈夫なようにもなっている。
「転んではいけない」なんて、実は、誰も言っていないのだ。
そして、みんなに「起き上がる力」が備わっている。
人それぞれ、起き上がり方、起き上がる力、起き上がる早さ、
違っているけども、必ず、起き上がれるのだ。
しばらく転んだままでもいい。
でも、いつか必ず、ムクっと起き上がれる日が来る。
本当は、ムスメたちを
「さあ!元気に走り回っておいで!」
と解き放ってあげたいが、それがいかに難しいことか、
親になって初めて分かりかけている。
転んでほしくないし、
泥だらけになってほしくないし、
目の届く範囲にいてほしい。
でも、もしも神様が存在するとしたら、
ボクたちは、実に、自由に生かされている。
転べ、転べ、転べ。
転んで、その痛みを忘れるな。
そして、いつの日か、また歩き出せ。
時々、わざと転んでる?と思う父の背中が、ボクに教えてくれている。
転ばない人生もスマートでかっこいいが、
ボクは父のように、泥臭く、人間臭く、 そして愛らしく、
生きていきたいと思っている。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
せっかく頑張っていたのに、最後の最後で「風呂の栓を抜く」という最大の排水をやらかしてしまった。