昨日、トイレで独り静かに感動していた。
これである。
このトイレットペーパーの芯、何十年、見続けて来ただろう。
おそらく、何種類か芯のタイプはあると思うが、
芯といえば、このタイプの印象が強い。
画像を見て分かる通り、
「毎度ありがとうございます」
と印字されているのだ。
みなさん、気付いていただろうか?
ボクは完全に素通りしていた。
どの企業が、どこの誰が始めたか分からない。
だが、おそらく歴史は長いだろう。
ちょっと気になって、
「トイレットペーパー 芯 毎度ありがとうございます」
で検索してしまった。
結果、核心的な情報に行き当たる事は出来なかったのだが、
やはり、これについて疑問や意見を持っている人はおり、
Yahoo知恵袋に投稿されていたり、個人のブログで取り上げている人もいた。
色んな意見があったが、
「何でわざわざ印字するの?印字代の無駄」
「感謝を示すのはいいけど、だったらペーパーの一枚目に書くとかすれば」
なんて意見もあった。
うむ、色んな意見が合っていいのだ。
確かにそれも事実。
「毎度ありがとうございます」の印字をやめれば、
おそらく、年間いくらかのコストダウンにはなるだろう。
無駄と言えば、確かに無駄だ。
しかしのぉ、この「さりげなさ」がいいんじゃろうが。
トイレトペーパーを使い切ってしまって、
「あっ、なんだよ終わっちゃったよ。代えるのめんどくさ~。」
という気持ちに心が支配されそうになった時、
「毎度ありがとうございました」
という言葉が目に入ると、
少しそんな気持ちが和らぐではないか。
製作者側のさりげない心遣いを感じるではないか。
ペーパーの一枚目から書いてあったら、ちょっとあざといだろう。
みんなが絶対に目にするから。
最後の「芯」に、しかも控えめに書いてあるからいいのだ。
もしかしたら、誰も見ないかもしれない。
気付かないかもしれない。
今までのボクのように。
気付いても、「コストの無駄」とか思われるかもしれない。
でも、芯を製作する会社と人間はそれを続けてきているのだ。
静かなる意思とポリシーを感じるのである。
勝手に。
こういう「さりげなさ」と出会うと、ボクはなんというかキュンとするのだ。
「あからさま」も、それはそれで可愛げがあるし、分かり易くていいのだが、
どうもボクは「さりげなさ」に惹かれる傾向がある。
以前、野菜ジュースのパックを開ける時、
誤って、開け口と反対側を開けてしまった事がある。
おそらく誰しも経験があるだろう。
パカッと開けた時、目に飛び込んできたのは、
「開けてくれてありがとう」
という可愛らしい印字。
予想外の展開に一瞬、指が止まったが、
すぐに意味を理解した。
通常、開け口の反対側を開ける場合というのは、パック自体を開く時だ。
パックをリサイクルに出す時は、必ず通る工程である。
開け口の反対を開けることが、
必ずしも「リサイクルをする」事と直結はしないが、
おそらく、リサイクル意識へ感謝の意を込めて、
そう印字したのだろうとボクは読み取った。
さりげない、実にさりげないではないか。
パックの表面に「リサイクルにご協力ください」と表記してもいいだろう。
そっちの方が分かり易いし、伝わりやすい。
でも、あえて、目につかないところに、
そして、あえて「リサイクル」という言葉を使わずに「感謝」のみ伝える。
一見、遠回りのように思われるが、
「あからさま」は人々の「頭」にはインプットされやすいが、
「さりげなさ」は人々の「頭」ではなく「心」に伝わる。
…そんな傾向があるのではなかろうかと、ボクは考えている。
もちろん、ケースバイケースで、「あからさま」が必要で効果的な場合もある。
前述した通り「あからさま」を否定しているわけではない。
しかし、決して多くの人に目につかない「さりげなさ」
人付き合いやコミュニケーションにおけるヒントを、
なんとなくここから感じる。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
「さりげなさ」を「あからさま」に公開しているボクは、もはや、さりげなくない。