ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

パンの耳とボク

「パンミミ」

 

我が家の最近のブーム。

 

近所に老舗のパン屋さんがある。

ボクも一度だけ行ったことがあるが、

店内が昭和な雰囲気で、なんともいい感じなのだ。

 

漫画に出てくるような、コックさんの長い帽子をかぶったおじいさん。

 おそらくご店主だろう。

すてきだ。

 

ここの食パンが、とびきりおいしい。

いや、とびきりというと大げさだが、

 

なんというか、こう、しみじみとおいしいのだ。

 

市販の食パンは、トーストしたり何か塗らないと、

あんまり食べる気がしないボクだが、

 

そこの食パンは、むしろ、そのままがいい。

 

オシャレなパン屋さんや、目を惹くパンは世の中に沢山あり、

パン好きのボクはどれも大好きなのだが、

 

この「老舗の食パン」には、ちょっと感動してしまった。

年輪を重ねた味わいがある。

 

なにやら食レポみたいになってしまったが、

 

ある日、ツマがそのパン屋さんで、

パンの耳がぎっしりつまった袋を買ってきてくれた。

 

なんだか懐かしい。

ボクが小さい頃も、確かパン屋さんにあったような。

当時は無料でくれていたっけ。

 

ツマが買ってきてくれたものは20円だが、

もう袋いっぱいにパンの耳がつめこまれている。

 

で、なんといっても、あのおいしい食パンの耳なので、

やっぱりおいしいのだ。

 

ムスメたちも、いつの間にか気に入り、

「ぱんみみ!ぱんみみ!」

といっている。

 

ちょっとしたおやつになるし、

余計なものは入っていないし、

 

特に、今、コムスメは「じぶんでたべたいでちゅ!」の時期なので、

パンミミは、手に持って食べるのに最適なのである。

 

これで20円。

 

我が家にとっては、

おそろしい程のコストパフォーマンスの高さだねと、

ツマと2人でニヤニヤしている。

 

ムスメたちが騒ぎ出すと、パンミミ。

ハトかしらね。

 

今朝、コムスメがパンミミをかじっている姿を見て、

なんとなく考えた。

 

パンミミ、廃棄してしまうパン屋さんもあるだろう。

それに対して善悪を唱えるつもりはないが、

 

なんか、こういうのって大事だなあとしみじみ思ったのである。

 

「ものをたいせつにしなさい」

 

小さい頃から、まあ、今も時々、祖母に言われている。

 

それは「ものがない時代」を過ごし、

「もの」の大切さをよーくよーく理解しているからなのだ。

 

当時は、あーはいはいと聞いていたが、

今、ほんの少しオトナになって、

ほんの少し、分かるようになってきたかもしれない。

 

今は豊作の時代、モノで溢れている。

新しいもの、便利なものが、どんどんどんどん世に出る。

 

どれも魅力的で、目を惹くものばかりだ。

 

一方で、

「ものをたいせつにする」

という風潮は、薄れていっているように感じる。

 

ボクの義父、つまり、ツマのお父さんをボクは尊敬している。

 

壊れたら「捨てる」のではく、

壊れたら「なおす」人なのだ。

 

今は100円ショップも、ラインナップが充実しているし、

新しいものは、安く簡単に手に入る。

 

しかし、

お義父さんは、時間がかかっても、手間がかかっても、

なおそうとするのだ。

 

ボクはその姿に、心底へりくだる気持ちになった。

 

買った方が早いかもしれない。

もしかしたら、直した方が高くつくかもしれない。

効率的ではないかもしれないけど、

 

その姿勢、生き方に静かに感動した。

 

そして、これは人間関係にも言えることではなかろうか、

とも最近思う。

 

壊れたらポイ。

崩れたらポイ。

 

修復するのには、

時間と手間と根気が必要だけれど、

 

「もの」にも「ひと」にも、

 

「向き合う」

 

ことが大切ではなかろうか。

 

と、コムスメの口の中に吸い込まれていくパンミミを見ながら考えた。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

パンミミ好きすぎて、

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こうやって冷凍庫にストックされておる。

 

日本の暦と生きるていねいな暮らし―――質素だけれど豊かに生きる

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