「仕事論」なんて言ったら、かっこよすぎるし、なんだかおこがましいな。
そんな事を語れる年齢でもないし、キャリアもない。
今まで、まともに仕事をしてきたかと問われれば、
元気よく「はい!」とは言えない自分がいる。
体調不良がそうさせていたとはいえ、なんとなくそれを盾にはしたくない。
ただ、自分の置かれてる環境の中で、境遇の中で、
自分の出来ることを、自分らしくやってきたつもりではいる。
バリバリと働いている人たちから見たら、
フーッと一息で吹き飛んでしまうようなものだが、
ボクなりの「全力」を注いできた。
前者の100%と、ボクの100%には雲泥の差があるが、
「100%を出している」という事実は、同じではないかと思っている。
ちゃうかいな?
皆と同じような「結果」や「成果」を求められれば、
到底、ボクはやっていけんのだ。
だが、「プロセス」や「取り組み」を見てもらえるとしたら、
それは本当にありがたい。
実は、ボクのそんな部分を見てくれる、愛情深い上司がいた。
今はもう、ボクはその方の部下ではないが、
部下としてではなく「ひとりの人間」として、
今もなお、ボクと家族を愛情深く見守ってくれている。
大学を這いつくばるように卒業したボクは、
当時、就職をする気力も体力もなく、フラフラとしていた。
なんとなくバイトをしてみたり、潰れてみたり、
そんな事を何回か繰り返した。
そんな日々だったが、
友人の紹介で、ある福祉施設でアルバイトをさせてもらう事になった。
そこで施設長を務めていたのが、前述した上司だったのだ。
ボクがお世話になり始めるのと同時に、その施設は開所した。
つまり「オープニングスタッフ」に近い形で働かせてもらう事になったのだった。
ボクは、そこで初めて、ボクにとっての「仕事らしい仕事」に取り組むことが出来た。
色んな人が、色んな形で施設運営に携わっている事がよく分かったし、
そのひとりひとりの努力によって、施設が運営されていくのを目の当たりにした。
小さな施設だったが、施設長を中心に、日々日々、団結力が増していくのを感じた。
ボクは、毎日、仕事に行くのが楽しかった。
忘れられないエピソードがある。
施設が立ち上がった当初、朝のミーティングで、施設長があいさつをされた。
その時の言葉が、ボクの指針となった。
こう話された。
「もちろん、福祉施設である以上、
ここを利用してくださる利用者さんが、何より大事です。
でも、私にとっては、それ以上に、一緒に働いてくれるみんなが大事なんです。」
目に涙を滲ませながら話す、施設長の姿に胸を打たれた。
ボクはその時、
「この先、どんなことがあっても、何より仲間を大切にしよう」
と固く、固く、決心した。
実際、施設長はその言葉通りに働いていた。
施設を利用してくれている利用者さんを心底大切に想い、寄り添った。
そして、ボクらスタッフにも、多忙を極める中で、細やかに心配りをしてくれた。
人が集まっているので、当然、衝突や摩擦、アクシデントは起こる。
でも、根底に深い愛情をボクは感じていた。
大きな事故を起こしてしまったスタッフへの第一声は、
叱責ではなく、「大変だったね…」という愛情深いひとことだった。
その時の表情も、ボクは忘れることが出来ない。
職種によっては、「一緒に働く仲間を一番大切にする」
という信条は通用しないかもしれない。
きれいごとかもしれない。
でも、ボクはこのことが、働く上で、いや、生きていく上で、
本当に、本当に大切なのだと信じている。
自分の仲間を大切に出来ない人間が、
どうしてお客様やクライアントを大切に出来るのだろうか。
それが、本当に、本当に、難しい事だから、
皆、毎日、悪戦苦闘しながら働いている、
生きているのだ。
そして、最も近しい「なかま」は、
「家族」なのかもしれない。
愛情深い上司が、ボクに教えてくれた、
目には見えない、お金では買えない、
尊い、尊い、贈り物だ。
ボクは、この贈り物を携えて、
この先の人生も、「きれいごと」を大事にしながら生きていきたい。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
組織は「人」なり。
とか、引きこもっているボクが言うのですから。
ブログとはなんと自由なものや。