ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

こどもに残せるたったひとつのコト

今日、特別な想いでパソコンに向かっています。

 

年若いボクが、こんなタイトルで言葉を綴るのはおこがましいし、生意気です。

 

そしてこれから書くことは、決して、夫婦関係で行き詰っている人を責めるわけでも、離婚をした人を裁くためでもありません。

 

なぜなら、ボクも一人の駆け出しの夫として、父親として、少なからずその難しさが想像出来るからです。

 

そして、離婚をしたボクの両親が「悪」だなんて、到底思えないからです。

 

自分が結婚してから、少しづつ理解してきています。

父親が、母親が、どれだけ苦しい想いをしてきたか。

そして、消えることのない罪悪感を背負いながら、今も生きていることを。

 

離婚の一番の被害者は、こどもかもしれません。

でもね、父親だって、母親だって、苦しいに決まってるんです。

 

どんな理由があるにせよ、一度愛した人と離れる決断をする。

天使のように可愛いこどもを、手放す。

 

どれだけ苦しくて、悲しくて、悔しいのでしょうか。

「身から出た錆」と言われれば、それまでかもしれない。

 

でも、人間なんて、そんなに強くないでしょう?

みんなみんな不完全で、泥臭く毎日を生きているでしょう?

 

ボクはね、父親と母親を心から尊敬しているんです。

別に、二人を擁護するつもりで言っているんじゃありません。

 

父親も、母親も、ボクと弟に目一杯の愛を、それぞれに注ぎ続けてくれている。

ボクらが成人し、それぞれが結婚した、今も尚です。

 

そして、それぞれが自分の十字架を背負いながらも、その二本の足で立って、人生を歩き続けている。

 

転ばないスマートな生き方もカッコいいでしょう。

でもね、転んだ後に立ち上がって、再び歩き出す姿ほどカッコいいものはありませんよ。

 

こどものボクが親についてこんなことを書き続けているのもおかしいですが、でも、ボクは自分の両親を心から誇りに想っていますし、こっ恥ずかしいですが、本当に愛しています。

 

でも、その上で、今日ボクが一番書きたいことを、勇気を持って綴ります。

 

親がこどもに残せる、最大で最高のプレゼントはただひとつ。

「お父さんとお母さんが仲良し」という事です。

 

異論、反論、あるかもしれません。

でもボクは、固く固く、そう信じているんです。

 

自分がこんな状態で、ムスメたちと満足に遊んでやれない、どこか楽しいところにも連れて行ってあげられない、かわいい服やおもちゃも買ってあげられない。ボクは、その事をいつもいつも後ろめたく、申し訳なく思っていました。

 

そして、すべてをひとりで担ってくれているツマに申し訳なくて、でも何も出来ない自分が情けなくて、悔しくて、いつも布団にくるまって泣いていたんです。

 

そんな打ちひしがれたボクに出来ることは、ただひとつ。

「ツマに感謝を伝え続ける」ということでした。

その時に出来る、精いっぱいの笑顔を添えて。

 

それしか出来なかった。

 

「ああ、ありがたいな…。」と思ったことには、惜しまず感謝を伝えました。

たぶん、しょっちゅう「ありがとね、ありがとね」と言っていたんだと思います。

 

だんだん、ムスメがそれを真似し始めるようになりました。

そんなつもりはなかったのですが。

 

「そんなことにまで感謝せんでいいよ…」という事にまで、「パパ、ありがとね。」と言ってくれる。ゴミを出しに行っただけでも。

 

そして、ボクとツマが楽しそうに話をしている時、やさしい言葉をかけ合っている時、ムスメとコムスメは一番嬉しそうにしている。その事に気付き始めました。

 

ああそうか、彼女たちが本当に求めているものは、どこかに連れて行ってもらうことでもなく、かわいい服やおもちゃでもなく、ボクとツマが仲良く笑顔でいることなんだ。そう、悟りました。

 

そして、ボクがツマに接する姿を見て、ツマがボクに接する姿を見て、「人と接すること」を学んでいくのだろうと。

 

だとしたら、父親としてボクに出来ることはただひとつ。

これまで以上に、ツマを大切に大切にすること。

 

でも、このシンプルなことがどれだけ難しいか。

それは、世間を見渡せばよく分かります。

 

でも、ボクは挑み続けたい。

悩みながら、転びながら。

 

そして、何度でも立ち上がりたい。

父と母のように。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

最後に、『ボールのようなことば。』という本から、糸井重里さんのことばを紹介させてもらい、結びとします。

それはそうと、ちょっとマジメな話なんだけれど、

ぼくは、ほとんどすべてのこどもの「願い」を、

とっくの昔から、よく知っています。

時代が変ろうが、どこの家のこどもだろうが、

それはみんな同じです。

 

おもちゃがほしいでも、おいしいものが食べたいでも、

強くなりたいでも、うんとモテたいでもないです。

「おとうさんとおかあさんが、仲よくいられますように」

なのです、断言します。

 

それ以外のどんな願いも、

その願いの上に積み上げるものです。

 

おとうさんとおかあさんが、

それを知っていたからって、

仲よくできるわけじゃないんですけどね。

それでも、知っていたほうがいいとは思うんです。

両親が、それを知ってくれるというだけで、

だいぶん、こどもの気持ちは救われます。

仲のいい家族は、それだけですべてです。

ボールのようなことば。 (ほぼ日文庫)

ボールのようなことば。 (ほぼ日文庫)

  • 作者:糸井重里
  • 発売日: 2012/05/08
  • メディア: 文庫