ツマとムスメとウツボク

いきるってたいへん。でも、すばらしい。

「百聞は一見に如かず」とボク

ボクは基本的に出不精である。

 

用事がなければ、極力、家でゴロゴロとしていたい。

 

元々、そんなんなのに、

ウッツーと仲良くなっちゃったもんだから。

 

出不精+ウッツー=籠城

 

※籠城(ろうじょう):敵に囲まれて、城・要塞(ようさい)にたてこもること。転じて、家にひきこもったまま外出しないこと。

 

「ひきこもり」をちょっぴりカッコよく言うと、こうなる。

 

そう、拙者、籠城をしておるのじゃ。

 (もっとも、敵は城の外ではなく、真横におるがの!)

 

しかし、一方で、大切にしているモットーがある。

 

それが、「百聞は一見に如かず」なのだ。

 

『人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる』

 

という意味。

 

しかしながら、

この籠城状態と、このモットーは相性が良くないのが悩みどころである。

 

まあ、さておき。

 

なぜ、ボクがこの言葉が好きになったか。

 

もちろん、前から知ってはいたが、別に気にとめていなかった。

まだ30そこそこだが、若造なりに、今まで色んな出会いや経験をしてきて、

「うーむ、この言葉は真実じゃなかろうか」とだんだん思うようになってきたのだ。

 じわじわと。

 

「情報化社会」と言われて久しいが、

今や、自分が得たい情報は、ほとんど手に入る。

スマホでひょひょいのひょいだ。

 

本当に便利な世の中になった。

すごい時代だなあと、つくづく思う。

 

が、ときどき勘違いしそうになる。

「情報」と「知識」は、ボクは違うものだと思っているのだ。

もちろん、人それぞれ考え方は違うのだけれども。

 

情報は割と簡単に手に入る。

なんなら、昨今は、手に入れたくなくても勝手に入り込んでくる。

 

でも、知識。

これはちょっと違う。

 

「知識」という言葉の理解も、これまた人によって様々で、

正解はないと思うのだが、

 

ボクが考える知識。

それは「経験」が伴うものなのだ。

 

たとえば、

我が家はよく通販で買い物をする。

品数も豊富、すぐ届く、買いに行く手間が省ける。

 

ツマもボクも買い物が好きだが、

今は、こどもたちと一緒だと、なかなかゆっくり出来ない。

 

なので、本当に通販に助けられている。

 

だけど、時々、失敗をする。

 

「あ、なんか思ってたんとちゃうわ…。」

 

多分、みんな経験があるだろう。

 

それは「情報」を元に、買い物をした結果だ。

無論、通販に非はない。

 

しかし、ボクの本当の理想の買い物は、

お店に行って、雰囲気を味わいたいのだ。

 

どんな人が売ってくれているのか。

商品の見た目はどうなのか。

手触り、肌触り、におい…。

 

なんか、ちょっぴり変態っぽいのでストップするが、

要は、大袈裟に言うと「五感」を使いたいのである。

 

自分の目で見たもの。

自分の耳で聞いたもの。

自分の口で食べたもの。

自分の鼻で香ったもの。

自分の手で触ったもの。

 

そんなことが、自分の「知識」ではないかな、とボクは考えている。

 

自分が経験した上で、「うん、これはいい!」と思うか、

はたまた「いやあ、これはちょっと…」と思うか。

 

それも、両方、立派な知識なのだ。

口コミや、ウワサではない。

自分が経験したのだから。

 

数年前に、生まれて初めて「プロレス観戦」に行った。

 

それまで、まったく興味がなかったし、

「どうせ、ヤラセやろ」と思っていたし、

テレビで放送していても全然観ないのに、

お金を払って観戦に行くなどあり得ない話なわけで。

 

でも、ボクの大切な友人のひとりが、プロレスのファンなのだ。

 

ボクから見て、

(自分の勝手な)プロレスのイメージと、

友人のイメージがどうしても結びつかず、

 

「なぜ彼がプロレスが好きになったのか」

 

が気になり、実際にプロレスを生で観たくなったのだった。

 

早速、友人に頼み、プロレス観戦に連れて行ってもらった。

 

結果、ボクはえらく感動して帰ってきた。

 

それこそ、感じるものは人それぞれだが、

ボクは、プロレス観戦を通して、レスラー達から「愛情」を感じたのだった。

 

良い意味で、予想を思いっきり裏切ってくれた。

 

格闘技であり、ファンや観る人、また相手のレスラーを思いやる、

なんとも素晴らしいエンターテイメントだった。

 

ボクの「百聞は一見に如かず」への想いが強まったのは言うまでもない。

 

自分の「肌感」でしか分からないことが、世の中にはたくさんあるのだ。

 

この手の話で、一番もったいないと思うのは、

「人付き合い」においてだ。

 

ボクも未熟なところが大いにあるのだが。

 

職場や学校、人が集まるところには、必ず、

「評判」や「うわさ」があるだろう。

 

「あの人、〇〇らしいよ…。」

「わたし、この前、あの人からこんなこと言われて…。」

 

よく耳にする。

 

実際、その人たちは、そういう目にあったのだろう。

 

でも、でもだ。

 

自分が同じ目にあうとは限らないのじゃなかろうか。

 

評判のよくない、あの人。

 

でも、でもだ。

 

実際に会って時間を過ごしてみないと、その人のことは分からないのでは。

 

「ああ、やっぱり評判通りの人だ。自分とは合わないな。」

 

それなれば、それでいい。

「自分には合わない」という事が分かったのだから。

 

でも、会う前から、話す前から、

「うわさ」や「評判」を鵜呑みにして、

その人を自分から遠ざけるのは、

なんとも、もったいないと思うのである。

 

もちろん、無理くり自分の苦手な人とコミュニケーションを取る必要は全くないが、

 

「会って、話してみないと分からない」

 

というのが、ボクの考えであり、そう自分を戒めている。

今まで、そんな経験がたくさんあったからだ。

 

エラそうにダラダラと書いてしまったが、ボクもまだまだ実践出来ていない。

それに、これはボク個人の考えであって、人それぞれ生き方がある。

 

でも、ボクは、

 

情報は適度にありがたく利用させてもらい、

これからも、自分の「五感」で感じることを大切に生きていきたい。

そう思っている。

 

まずは籠城をどうにかせねば…。

 

今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。

 

「ウツ」も、評判より悪いヤツではなかった例のひとつ。

 

日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ

日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ