「『父親になる』ことはできるが、『父親でいる』ことは難しい。」
前に、こんな感じの言葉を目にしたことがある。
うーん、なるほど…と唸った。
父親になりたくても、色んな事情でそれが実現出来ない人達もいる。
はからずも、父親になってしまった人達もいれば、
父親という生き方を選ばない人達もいる。
生き方は人それぞれで。
みんな、それぞれ、自分らしく生きている。
ただ、その中でボクは「父親になる」ということを望み、それが叶えられた。
その特権に、静かに、しっかりと感謝したいなと改めて思う。
と言うても、ボクはまだまだ新米の父親。
父親になって、まだ3年も経たない。
父親うんぬんを語るにはあまりにも早すぎるが、
新米なりに日々感じる事はある。
正直に言って、自分が父親だという自覚が出てきたのは、ここ最近。
ある日突然、ちっちゃい赤ちゃんと一緒に生活するようになった。
最初はそんな気持ちが続いており。
妊娠が分かって、一緒に喜んで、
ツマのおなかが、日に日に大きくなるのを目にして、
おなかに耳をあてると、何かが確かにそこに存在するのを感じて、
そして、ツマの身体から、ムスメとコムスメが出てくる瞬間をこの目で見た。
それでも、不思議と実感が湧かなかった。
その出来事と、「自分が父親になった」ということが結びつかないのだ。
ムスメが大きくなり、「パパ」と呼んでくれるようになって、
ようやく目が開き始めた感じ。
それでもまだフワフワしている。
2歳になる頃、ムスメが少し酷めの風邪をひいた。
初めての事だったので、ボクはうろたえた。
ちょうどツマがコムスメを出産した直後で、
皆でしばらくツマの実家にお世話になっていた時。
ツマに風邪がうつったらいかんし、コムスメにもうつったらいかん。
義父が車を出してくれて、すぐに病院に向かった。
ボクの腕の中で、ムスメはグッタリとしている。
そして間も無く、ムスメがゲロった。
吐物まみれの上着のまま、病院にかけこんだ。
ちょうど年末年始シーズンだったので、休日診療の病院はメチャ混み。
何時間待たされるか分からない。
そんな中で、またムスメがゲロった。
(お食事中の方、申し訳ありません)
吐物がこぼれ落ちないように、脇を締めて流れをせき止めた。
ムスメは苦しくて泣き叫んでいる。
実は、その後の記憶がない。
病院のスタッフさんや、義父の力を借りて何とかなったのだが、
自分にとっては、あまりに壮絶過ぎたのだろう。
でも、今まで感じたことのない気持ちが芽生えたことだけは覚えている。
お気に入りの上着がゲロまみれになっても、
めちゃ混みの病院で冷ややかな視線を浴びても、
自分がどうなってもいいから「この子を助けたい」と願った。
大袈裟だけれども、
初めて自分が「ボクは、父親なんだ」と実感した日だった。
「父親に出来ることはなんだろう?」
日々、考え続けている。
自分のことを優先したい時なんて山ほどあるし、
正直、ムスメたちが煩わしいなと思うことも沢山ある。
産まれてきてくれた瞬間の感動は、生涯忘れることはないが、
それはそれとして、記憶の中に「お気に入り」登録されているだけ。
日々の生活の中では、ムスメたちに翻弄されながら、
そんな記憶はどこかに吹っ飛んでいる。
「父親でいる」ことは、つくづく、しあわせだが、
つくづく、むずかしい。
これから長い年月と経験を重ねて、その奥深さを知ることになるだろう。
ツマに何をしてあげられるか、
ムスメたちに何をしてあげられるか、
ボクにとって、「父親でいる」とはどういうことか、
考え続けたいなと思う。
実は、これは、父親に限った話ではないと感じる。
おめでたい話の後には、ほぼついてまわることではないだろうか。
大好きな女の子と付き合ってもらえることになった。
でも、本当の醍醐味と難しさは、それを「継続させる」ことにあると思う。
結婚も、もちろん同じだろう。
就職や昇進、その他にも何か「新しい立場」になった時も。
「その立場でい続ける」ことの方が、とてもとても難しいのだと思う。
これが人生のおもしろさであり、むずかしさなのかしら…。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
M-1で優勝したからといって、その後ずっと売れ続けるとは限らんもんなあ。