世界は今、チャレンジに直面している。
数か月前に今の状況を予想出来た人は、ほとんどいないだろう。
すべての人の生活は、大きく、大きく変わった。
感染者数や死亡者数を「数」でしか見なくなってしまいがちだが、
その背景には、間違いなく家族がいる。
その人を想う、人がいる。
決して忘れたくないし、忘れてはならないと思う。
今日も、今この瞬間も、どこかで誰かが、何かと闘っている。
でも、よくよく考えてみると、闘いはずっとずっと前から続いているのだ。
今は、人類共通の大きな「チャレンジ」と向き合っているが、
ひとりひとりの生活には、その縮図と言えるチャレンジが、ゴロゴロと転がっている。
平々凡々と暮らしている人なんて、いやしない。
いたとしても、そう見えるだけだ。
ひとりひとり、何かを抱えながら生きている。
人とは比べようのない、何かを。
時には歯を喰いしばりながら、
時には理不尽に打ちのめされながら、
時には自分の弱さと愚かさに失望しながら、
みんな、生きている。
世界の歴史を振り返っても分かるように、
この「チャレンジ」というものは、生きている限り、絶え間なく押し寄せてくる。
ひとつクリアして一息ついたら、また次。
また次、また次。
話は変わり、
今までも何度か書いたが、学生時代、野球をしていた。
道具の中でも「グローブ」はおそらく一番身近なものだろうと思う。
購入したばかりの硬式用のグローブは、ピカピカでかっこいい。
皮のいい匂いがする。
しかし、手にはめてみると驚く。
全くと言っていい程、グローブの開閉が出来ない。
新品は、めちゃくちゃ固いのだ。
それから沢山の時間をかけて、グローブは柔らかくなっていく。
泥だらけになりながら、
汗まみれになりながら、
雨にも打たれながら、
時々丁寧に油を塗り、
少しずつ、少しずつ、グローブは育つ。
そして、やがて気が付いた時には、手に吸い付くような存在になっているのだ。
その姿は、買ったばかりのピカピカの姿とは、およそかけ離れている。
泥にまみれて真っ黒で汚いし、
汗まみれでめちゃくちゃ臭いし、
もう絶対、女子には見せたくない。
でも、野球の上手い下手関係なしに、グローブは野球人にとって「相棒」なのだ。
汚くても、臭くても、長い年月苦楽を共にしてきた。
グローブを大切にしている人がみんな野球が上手いというわけではないが、
野球が本当に上手い人は、グローブをとても大切にしている。
エラーをして怒られた日も、
ナイスキャッチして褒められた日も、
雨の中受け続けた鬼のようなノックも、
全部、一緒に味わってきた。
生きているといろんな事がある。
日々の生活は楽なことばかりではない。
泥にまみれる日もあるだろう。
雨に打たれる日もあるだろう。
風にこごえる日もあるだろう。
もう、だめだと思う日もあるだろう。
でも、グローブは育っている。
それらの経験ひとつひとつをしっかりと吸収して、育っている。
チャレンジに直面する度に、強く、柔らかく、そして、しなやかに。
ボクもそうありたい。
グローブのようで、ありたい。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
どこにしまったっけな、グローブ…。