今朝、ムスメが外に遊びに出かける前に、
ボクの方にかけ寄ってきて、足に抱きつきながら、
「ぱぱぁ、ありがとね」
と言ってきた。
特に感謝される事をした記憶がなかったので、
「いえいえ、どういたしまして」と適当に返事をしてしまったが、
ツマに聞くと、理由が分かった。
今年の夏、ツマと一緒に、ムスメにスポーツサンダルをプレゼントした。
理由は色々あったが、決定打は、
「外でおもらしした際に毎度クツを洗うのが面倒」
という、完全な大人の都合。
そんな事はもちろん伏せて、
ツマと一緒に、ムスメが喜びそうなサンダルを一緒に選んだ。
サンダルが家に届いた日、ボクはムスメを驚かせたくて、
サンダルを背後に隠して、少しずつムスメに近づき、「じゃーん!」と見せた。
もうリアクションが想定通り過ぎて笑えてしまったが、
とても気に入ってくれたようで、その日はしばらくサンダルを履いて過ごしていた。
(これで安心しておもらししていいぞ)
この夏、そのサンダルは我々の期待以上に活躍してくれた。
丸洗い出来て、すぐ乾くって本当に素晴らしい。
とまあ、そんなサンダルストーリーがあったのだが、
ここ数日、外があたたかかったので、
今朝、ムスメはクツではなくサンダルをチョイスした。
まあ、機嫌が良かったのもあるだろう。
や、というか機嫌が良かっただけだろう。
サンダルを履きながら、どうやら、プレゼントしてもらった時の事を思い出し、
当時の感謝の念が、時空を超えて押し寄せてきたらしい。
その、「ありがとね」だったのだ。
普段のムスメの傍若無人ぶりが一瞬だけ吹っ飛び、
なんともかわいらしいな、と思いながら、ムスメたちを見送った。
以前も、記事で書いたが、ボクは個人的に、
「ありがとう」と「ごめんなさい」を大事にして生きようとしている。
今朝、ムスメたちを見送った後、しみじみとその事について考えていた。
話は少し変わり、
ムスメとコムスメは、ボクが仕事に行く姿をほとんど見ていないかもしれない。
たまーに、外に出かけようとすると、ムスメが、
「ぱぱ!おしごといくの!?」
(ちょっとちょっとすごいじゃん!マジでがんばれよ、マジでさあ!)
という心の声が聞こえてきそうな顔をする。
家で、静養せざるを得ず、横になりながら、
「自分は父親として、この子たちに何をしてやれているのだろうか」
と考えない日はない。
その度に、申し訳ないような、情けないような、不甲斐ないような、
なんとも言えない気持ちになる。
唯一の救いは、
「あなたは何にもしなくていいのよ。そのままでいてくれればいい。」
という、ツマのねぎらいの言葉。
それでも、毎日、心の中で葛藤は続く。
しかし、今朝、ひとつの事に気付いた。
体調を崩し、家で静養している事によって、
ボクは家族に「ありがとね」を伝える機会をたくさんもらっている。
日々、至れり尽くせりしてくれているツマには、
口癖のように「ありがとね」が出ているし、
最近では、一丁前に「ぱぱ、だいじょーぶ?」と、
労わってくれるムスメに対して「ありがとね」を伝える機会をもらっている。
コムスメに関しては、もはや存在が「ありがとね」だ。
自分が出来ない事が多いので、家族に助けてもらわざるを得ない。
でも、その分だけ「ありがとね」が生まれている。
「あなたは何もしなくていいのよ」
というツマの言葉の真意が、今朝、少し分かった気がする。
今日も、「ウツボク」に来てくれてありがとうございます。
いつも、このブログを読んでくれて「ありがとね」。